そぞろごと

退嬰老人日記

ふたりのキース

──「まことに『老』というものは取り柄のないものである」 これは厨川白村の述懐だが、最近年をとるにつれて、私もしみじみそう感じることが多くなった。まったく、年をとっていいことなどひとつもありはしない。年をとるということは、いままでできていたこ…

深層への下降

魔法使いになるために、ぜったいにやっておかねばならないこと、それは自己の精神の深層へ降りて行くことだ。これについては、座禅とかヨガとかいろんな方法がある。いちばんお手軽なのは瞑想だが、たんに目を閉じてリラックスしているだけではたぶんダメだ…

途中経過

楽器を弾かなくなって10日が過ぎたが、初めのころと比べて指の調子はどうか。まったくよくなっていない。それどころか悪化している?いやはや、この調子でいくと、復帰できる日はこないかもしれない。つまり、もう二度と(まともには)楽器を弾くことができ…

魔術師露伴

この前ネットのニュースで、「まじ」という言葉が江戸時代から使われていた、という記事を読んだ。どうも書いてあることが嘘くさいな、と思って調べてみると、似たような記事は何年も前からあがっているようだ。その「まじ」とは別に、「まじなう」とか「ま…

魔法使いになりたい望み

子供のころ、魔法使いになりたかった。「魔法使いになりたい? ではなればいいではないか」私はきょとんとする。そうだ、なりたければなればいいのだ。今からでも遅くはない。魔法使いになろう。子供のころの夢を実現しよう。もちろん、子供のころに思い描い…

エッチ先生

ネットのニュースをみていると、ほぼ毎日のようにわいせつ行為で捕まっている先生が出てくる。マスコミがこういうニュースばかりほじくり出しているのか、それともそういう先生がげんに増えているのか、詳細は不明だが……しかし、ここからは私の推測だが、こ…

『抱朴子』

昨日ちょっと触れた抱朴子、もしかしたら何か有益な養生法が書いてあるのではないか、と思ってざっと目を通してみたが、残念ながらそれらしい記事を見つけることはできなかった。岩波文庫版の p.232 に、「筋骨を調理するに、偃迎の方有り」と書かれているが…

無為自然

自分の指が炎症を起しているらしいことはわかる。しかしネットの記事を読んでも、それが腱鞘炎なのかどうかははっきりしない。不得要領のまま動画サイトに行くと、今度は腱鞘炎の治し方を説明した動画がそれこそ山ほどある。ところが、それらの動画の説明が…

オルタナ

私がふだん弄っているのはギター、ベース、ピアノだが、ドラムも少しだけかじっている。ドラムといってもセットではなくスネア単体で、それをブラシでこすったり叩いたりして音を出す。住宅事情から、それ以上のことはできないのだ。しばらく前から、近所の…

中断

楽器を弾くのと筋トレと、直接には何の関係もないが、間接的にはつながっている。自分のことでいえば、腕の筋トレ→肘関節の痛み→小指、薬指のしびれ→楽器が弾けなくなると、こういう流れだ。肘の不具合が手首から指にまで及ぶとは思わなかった。なによりも、…

再開

このブログもずいぶん長くほったらかしにしているので、今日から毎日一記事投稿することにした。今年の元日からニフティで毎日日記を書いていて、一日も欠かさずに今日まできたので、たぶんこっちでもやればできる。日記と違ってブログはある程度読まれるこ…

鷲巣繁男『戯論』

由良君美の『みみずく古本市』で見て興味をもったもので、だいぶ前に手に入れたまま積読になっていた。本書の副題に「逍遙遊」とあって、おそらくこれはマラルメのディヴァガシオンから想を得たものだろう。しかし、その divaguer ぶりは本家をはるかに凌駕…

自殺ソングについて

自殺ソングで有名なのは、ダミアの「暗い日曜日」だろう。確かに陰々滅々とした曲だが、私はこれを聴いてもべつに自殺したいという気持にはならなかった。日本では、「アカシアの雨がやむとき」が似たような歌詞をもっているが、これを自殺ソングと呼ぶ人は…

エリー・アメリングと眞理ヨシコ

往年の名ソプラノにエリー・アメリングという人がいる。私はこの人の歌が大好きで、CDばかりか「歌の冒険」と題された写真集まで持っているくらいだが、どうしてそんなに惹かれるのか、自分でもよくわからなかった。ところで、今日、子供のころに好きだった…

日記

この一月から思い立って日記をつけている。こうして自分で日記を書いていると、他人の日記が気になってくる。たとえば永井荷風の断腸亭日乗。題名からして厭味だなと思って顧みなかったが、うちにあった全集本で罹災日録というのをみると、たしかにじじむさ…

年頭所感

初詣に出かけた人は、今年は少なかったのだろうか。私はめったに行ったことがないが、今日になって近くの神社に足を運んでみた。三日の午後なので、あまり人もおらず、がらんとした感じだった。コロナの影響か、鈴がなくなっていたが、あれがないとどうも神…

年末の一日に

ふと思い立って芥川の「年末の一日」を読んでみようと本を取り出した。5ページあまりの小品。年末に知り合いの記者と漱石の墓参りをしたという、ただそれだけの話だが、末尾に車曳きの男が箱車を曳くのを手伝ってやる場面がある。それは東京胞衣会社の箱車な…

近況

日本では年末の年中行事に組み込まれているベートーヴェンの第九。私もなんとなく毎年クレンペラーのものを聴いていた。今年はふと思い立ってユーチューブでフルトヴェングラーのものを聴いてみた。いままであまり好きではなかった第九だが、この演奏はすご…

深見東州『強運』

本書はいまでもたまに電車の中の広告で目にする。けっして新刊というわけではないのだ。まあ、あんまりたびたび目にするので、機会があれば読んでみたいと思っていた。しかし、そんな機会はなかなかこない。で、このたび思い切って自分で買ってみた(ネット…

スーパーギタートリオのひみつのなぞ

1981年に出たスーパーギタートリオのライヴ盤。これを聴いてアコースティックギター(当時はフォークギターと呼んでいた)に対する認識が一変してしまった人は多いと思う。私もそれまで少しはギターにも触れていたが、この演奏に驚いてスパニッシュギターや…

宮崎湖処子『帰省』

筑摩の文学全集(初代)の「明治名作集」を手に入れて、最初から順に読んでいったが、どの作品もじつにおもしろい。個々の作品を覆っている、いまは失われた明治時代の雰囲気が、たまらなく魅力的なものに感じられる。ところが、宮崎湖処子の「帰省」にいた…

Teuchedy について

ロバート・バートンの『憂鬱の解剖』に、Teuchedy というのが出てくる。これが何なのか、長いこと謎だったが、いつだったか、あるフォーラムでその語源解説がしてあって、なるほどと膝を打った。ところが、今見てみると、ページごと消え去っている。もしかし…

ホフマンスタールについて

彼について何か書くほどよく読んでいるわけではないが、ドイツ語で最初に一冊読み通した本が、彼の『道と出会い』だった。読み通したといっても、薄っぺらいレクラム文庫なので、たいしたことはないが、やっぱり最初の一冊というのは後々まで影響する。私に…

わが心の大和田

大阪市西淀川区大和田西2の39。これが私の精神上の原籍地だ。私はここに9歳まで住んでいた。今日、仕事で近くを通ることになったので、しばらく車をとめて、子供のころ遊んだ思い出の場所を写真に撮ってきた。ひとさまにはまったく興味をもってもらえない…

懐メロとしてのバッハ

YTを見ていると、ヘルムート・ヴァルヒャの『フーガの技法』が全曲アップされているの発見した。いやはや、なんでもありますな、YTには。 一番から順を追って聴いてみたが、しだいに湧き上ってくるノスタルジーを抑えることができなかった。これを最初に聴い…

好事魔多し

やっと軌道に乗りかけた宅録だが、ちょっとした不注意でギターの背面に穴を開けてしまい、リペアに出さざるをえなくなった。納期はひと月半とのことで、11月中旬まで宅録はお預けということになる。宅録はともかくとして、日常的にギターを弾くことが習慣に…

粋でこうとで人柄で

昔の本ではたまに見かける表現だが、この「こうと」は「高等」のつまったものだと思っていた。高等、つまり高尚というような意味かな、というふうに勝手に思いこんでいたのだ。ところが、最近饗庭篁村の「当世商人気質」を見ていたら、このこうとに「公道」…

『尼僧ヨアンナ』について

私がこれまで見た映画の中で、ベストテンを選ぶとすれば、必ず入ってくるのがカヴァレロヴィッチの『尼僧ヨアンナ』だ。このたび、ちょっと気になることがあったので、原作の方も覗いておくことにした(岩波文庫、関口時正訳)。気になることというのは、映…

ゾラ『獲物の分け前』

中井敦子訳のちくま文庫。耐えがたく退屈で、読み了えるのに半年ほどかかってしまった。ネットで感想をみると、案に相違して、みなさん意外と本書を楽しんで読んでいるようだ。退屈に思ったのは私がわるかったのか。たぶんそうだろう、ゾラほどの作家がつま…

羽仁進『初恋:地獄篇』

この映画では、寺山修司は名前を貸しただけで、製作にはいっさい関っていないと羽仁進が言ったそうだが、それはたぶん嘘だと思う。というのも、ここには寺山的なものが少なからず散見するからだ。ただしそれはほんの味付け程度にとどまっている。そして、そ…