そぞろごと

退嬰老人日記

球形の鉱物標本

長らくご無沙汰していた鉱物標本だが、久しぶりに一点買った。今回のは球形に研磨したシャッタカイトその他の鉱物で、最近ちょっと宇宙づいていることから、星のようにみえるオブジェが欲しかったというのが正直なところ。 購入元からの説明は下記のとおり。…

『四畳半襖の下張』金阜山人戯作(伝・永井荷風)

江戸三大奇書の向うを張って、好色三大伝奇書なるものが一般に行われているらしい。その内訳は、明治の『袖と袖』、大正の『乱れ雲』、それに昭和の『四畳半襖の下張』である。成り行きとはいえ、前二作を読んだ手前、最後のものにも目を通しておくのが筋だ…

『袖と袖』(伝・小栗風葉)

前回の続きで手に取ってみた一冊。小栗風葉という、今日ではだれも知らない(?)作家の手すさびになるとされる春本。これもやはり筋らしい筋のない、エピソードをつなげただけの小説で、私の当初のテーゼ「春本は家庭小説の一種である」はどうやら形無しに…

『乱れ雲』(伝・佐藤紅緑)

この前、家庭小説について書いたとき、春本も広義の家庭小説に入るのでは? というようなことを書いた。まあ、そんなことを真に受ける人もいないと思うが、いちおう検証のつもりで、古典的な春本を読んでみることにした。河出文庫で何冊か出ている秘本シリー…

高山宏『夢十夜を十夜で』

高山先生が学生たちを相手に『夢十夜』の講義をした記録のようなもの。多少は編集されていると思うが、だいたいこんな感じで授業が進んだ、という雰囲気は伝わってくる。最初のほうに、「この十篇を一貫してマニエリスムの文学とは何かを論じられることにな…

新紙幣の顔

渋沢栄一がどういう人か、何をした人か、私はよく知らないが、厨川白村が1922年(ほぼ100年前!)に書いた「悪魔の宗教」という論稿*1に、 多年うまい金儲けをして身は大資本家となつて貴族に列せられる頃には、引退して何食わぬ顔で今さら論語なぞを説いて…

井筒俊彦『コスモスとアンチコスモス──東洋哲学のために』

この本の巻末に添えられた司馬遼太郎との対談の中で、著者が「英独仏語なんぞは手ごたえがなさすぎて外国語をやってるという気がしない」と放言(?)しているのがおもしろかった。たしかに、そんなものは赤子の手をひねるようなものですよね。しかし、この…

サイモン・ミットン編『現代天文百科』

この前はてなブログで「乗り物」というお題が出たので、乗り物としての地球について書いた。それが機縁で宇宙関連の動画を見たりしているうちに、ふと思い出したのが、私が若いころ、本屋で手に取って思わず瞠目した大冊のことだ。それはたしか岩波書店から…

エドガー・ポーの世界

お盆といえばやはり怪談物ですよね。うちにも怪談と名のつく本はある。昔買った、古ぼけた全集の端本。それを開いて読んでみると──これが意外におもしろい。思わず釣り込まれるが、その話は後回しにしよう。 * * * 西洋怪談といえば、エドガー・ポーと相…

井筒俊彦『意味の深みへ──東洋哲学の水位』

ときどきひどく分りにくい文を書く人がいる。いわゆる悪文家。もうちょっとわかりやすく書けませんかね、と文句のひとつもいいたくなるような人々だ。井筒俊彦はその正反対だ。かれの書く文はすばらしく明快である。かれの本を読んでいると、こっちまで頭が…

家庭小説

家庭小説というジャンルがある。正しくは「あった」というべきか。というのも、このジャンルの最盛期は明治・大正時代で、昭和に入るとともに衰退し、今ではもはやその影すら残っていないのだから。しかしほんとうにそうか? たとえば、NHKで昔からやってい…

高山宏監修『蒐集』

コレクションというのは、やったことのない人にはバカみたいに映るかもしれないが、やってみればこれほどおもしろいものはない。コレクションの効用。まず生活に張りと緊張が与えられて、毎日が非常に充実した日々となる。自分のことを例にあげれば、それは…

リリアン・ギッシュ──永遠の相のもとに

日夏耿之介が大正十五年に書いた雑文「中世活動写真考」に、 『中世智慧の輪』の中から活動写真の項をしらべ出して研究して世間をあつと云はせんものと、……さて若し若しあつたとしたらばなんと思召す、イゾルデ姫にリリアン・ギッシュ見たやうな美女が扮し、…

稲垣足穂『少年愛の美学』

これはいいときにいいものを読んだ。というのは──男性も更年期を迎えるころにはあっちのほうがさっぱりご無沙汰になる。それはそれでいいのだが、これまでP(すなわち penis)を中心にして築き上げてきた自我が、Pの衰勢とともに崩壊の危機にさらされるので…

鉱物のことなど

ブログの説明に「本、鉱物、音楽」とあるのに、鉱物についてはまだ何も書いていない。じっさい鉱物については書きにくい。いちばん簡単なのは、手に入れた標本について、「こんなの買ったよ」と画像と名前だけ出しておくことだ。しかし、そんなものにはだれ…

永遠の夏 ── L'été éternel

永遠の、とくれば、夏、ですよね。永遠の冬なんていうのは考えにくい。ましてや永遠の春や秋などありえない。それらは来てはまた過ぎ去るものだ。これは夏をあらわすフランス語が「エテ」なので、それが「エテルネル(永遠の)」を連想させるのだろうか。い…

ガボール・ザボについて

去年の夏は、ガボール・ザボの2枚(正確にいえば4枚)のCDを聴いて過ごした。 Gypsy '66/Spellbinderアーティスト: Gabor Szabo出版社/メーカー: Imports発売日: 2015/11/27メディア: CDこの商品を含むブログを見るSorcerer / More Sorcery (Impulse 2-on-1)…

矢野目源一の肖像

矢野目源一の幻の詩集『光の処女』がネットでも見られるようになって、とうとうそういう時代がきたか、という感をつよくしている*1。彼の詩集『光の処女』と『聖瑪利亜の騎士』は、何年か前にテクストファイルを作ってネット上に流したことがある。電子テク…

音楽におけるヴァンピリズム

ギターを手にしてはや一年が過ぎた。この間、とくに練習らしい練習はしていないが、CDに合わせて即興的にギターを弾くのはよくやっている。たとえばバルトークの弦楽四重奏。この前衛的かつ変態的な曲集は、かつては洒落で聴いていたが、ギターで合わせるよ…

ルイ・マル『地下鉄のザジ』

大昔にテレビで見たものの再鑑賞。コメディはアメリカのものがダントツでおもしろいが、フランスもなかなかやりおるわい、といったところか。そういえば、私がはじめてパサージュなるものを知ったのもこの映画の中でだった。そのときは、こんな夢のような商…

田島裕子「あざやかに生きて」

今週のお題「わたしの好きな歌」たった一回聴いただけの曲が、なぜか執拗に記憶にとどまることがある。たとえば私の場合、田島裕子の「あざやかに生きて」がそれだ。じつはこの歌手名も、曲名も、私にとっては長いこと謎だった。なにしろ大昔に一度、テレビ…

山崎俊夫『夜の髪』

奢灞都館から出た作品集の第五巻。四巻まではわりと楽に手に入ったが、最終巻がなかなか見つからなかった。諦めて図書館で借りようか、とも思ったが、けっきょく定価の倍ほどのお金を払って購入することにした。しかしまあこれは買っておいてよかったと思う…

宇能鴻一郎『夢十夜』

その特異な文体で一世を風靡した(?)宇能氏が、2014年に新著を出していたことを知る。「生きとったんかいワレ!」とはこういうときに使うセリフだろう。いや、とにかくびっくりした。で、とりあえずそのご高著(?)を贖わせていただきました。帯には「三…

マラルメとボルヘス

マラルメの命題「世界は一冊の本となるべく存在している」は、100年前には気の利いたキャッチコピーだったかもしれないが、こんにちではどうだろうか。そのマラルメのあとをうけて、ボルヘスは「砂の本」を夢想する。時間的にも空間的にも無限のものを一冊に…

男女の行動の違い

高山宏に『殺す、集める、読む』という題のエッセイ集がある。私はまだ読んでいないが、この題名だけでも唸ってしまう。さすが学魔といわれるだけのことはあるな、と。しかし、よくよく眺めてみると、「集める」と「読む」とを並べるのは、同義語反復の嫌い…

レルベルグとフォーレ

ベルギー象徴派の代表的な詩人にシャルル・ヴァン・レルベルグがいる。この人は私のちょうど100歳年上で、生まれた月もいっしょなら、日も3日しか違わない。だからどうしたといわれるかもしれないが、こういうところにもなんとなく親近感をおぼえる。レルベ…

はじめに

これまで同一IDで三つのブログをやってきたが、そのうちのひとつを削除して、改めて新規IDで始めることにした。IDひとつに三つのブログはやっぱり無理がある。1ブログ1IDというのがすっきりしていてやりやすい。今回のIDには 1961 という数字をつけてみた…