短小亭日乗

短くて小さい日記

雑記

葉巻雑感

私が最初に葉巻を買ったのは今年の5月初めだ。それからまる4ヶ月が経過した。その間にどれだけ葉巻に金を使ったか。計算してみると、驚いたことに121,918円である。一日当り1,000円ほどになる。そのほか、葉巻を吸うのに必要な道具、あったほうが便利な道具…

ヒュミドールで葉巻を育てる

私が最初にプレミアムシガーを喫したのはふた月前のことだが、そのころネットで読み漁っていた雑多な記事のなかに、「ヒュミドールで葉巻を育てる」というような文言があって私の注意を惹いた。私はこれを見て、とっさにホムンクルスのことを思い出した。ホ…

貧乏臭くない喫煙のしかた

半年ほど前から細々と、三ヶ月ほど前から本格的に喫煙を再開してみた。まずパイプから始めて、その次に手を出したのが手巻タバコだ。これは2パック買ってやめにした。理由は、あまりにも貧乏臭いからだ。いやはや、どうにもこうにもここまで貧乏臭い喫煙法が…

藤原かね子について

今年の2月にYouTubeで『浅草の灯』という古い映画を見たが、そのとき印象に残ったのが藤原か祢子という女優だった。かつてここにアップしていた自分の日記を見ると、 2月17日(木) 夜「浅草の灯」視聴。杉村春子憎まれ役を好演せり。紅子役の女優よけれど情…

Teuchedy について

ロバート・バートンの『憂鬱の解剖』に、Teuchedy というのが出てくる。これが何なのか、長いこと謎だったが、いつだったか、あるフォーラムでその語源解説がしてあって、なるほどと膝を打った。ところが、今見てみると、ページごと消え去っている。もしかし…

わが心の大和田

大阪市西淀川区大和田西2の39。これが私の精神上の原籍地だ。私はここに9歳まで住んでいた。今日、仕事で近くを通ることになったので、しばらく車をとめて、子供のころ遊んだ思い出の場所を写真に撮ってきた。ひとさまにはまったく興味をもってもらえない…

新世紀の幕開け

このたびのコロナ騒動で、やっと20世紀が終りを告げ、21世紀が始まるのかな、という気がしている。なにを寝ぼけたことを、もう20年も前から21世紀に入ってるよ、という声もあるだろう。まあそれはそうだが、われわれが〇〇世紀という言葉で思い浮べるあれや…

二人のプリュドム

prudhommerie とか prudhommesque とかいう言葉があって、いずれも Prudhomme(人名)に由来する。意味は、くだらないことを勿体ぶってしゃべる、ということで、そんな言葉の語源になったプリュドム氏というのは、いつしか私にとって俗物のひとつの典型にな…

サッポーの歌をギリシャ語で聴く

呉茂一の訳したサッポーの「アプロディテー讃歌」。これはなかなかすごいものではないかと思う。 はしけやし きらがの座に とはにます神アプロディタ、 天帝のおん子、謀計の織り手、御前にねぎまつらくは おほよその 世のうきふし なやみごともて 我が胸を …

狂詩について

東洋文庫(平凡社)の「江戸狂詩の世界」という本をぱらぱらめくっているが、どうも興が乗らない。中途半端にひねったものばかりで、がつんとくるものがないのだ。「江戸のエスプリがわからぬか」と通人にいわれそうだが、エスプリなんぞはどうでもいい。私…

リリアン・ギッシュ──永遠の相のもとに

日夏耿之介が大正十五年に書いた雑文「中世活動写真考」に、 『中世智慧の輪』の中から活動写真の項をしらべ出して研究して世間をあつと云はせんものと、……さて若し若しあつたとしたらばなんと思召す、イゾルデ姫にリリアン・ギッシュ見たやうな美女が扮し、…

永遠の夏 ── L'été éternel

永遠の、とくれば、夏、ですよね。永遠の冬なんていうのは考えにくい。ましてや永遠の春や秋などありえない。それらは来てはまた過ぎ去るものだ。これは夏をあらわすフランス語が「エテ」なので、それが「エテルネル(永遠の)」を連想させるのだろうか。い…

矢野目源一の肖像

矢野目源一の幻の詩集『光の処女』がネットでも見られるようになって、とうとうそういう時代がきたか、という感をつよくしている*1。彼の詩集『光の処女』と『聖瑪利亜の騎士』は、何年か前にテクストファイルを作ってネット上に流したことがある。電子テク…

はじめに

これまで同一IDで三つのブログをやってきたが、そのうちのひとつを削除して、改めて新規IDで始めることにした。IDひとつに三つのブログはやっぱり無理がある。1ブログ1IDというのがすっきりしていてやりやすい。今回のIDには 1961 という数字をつけてみた…