そぞろごと

退嬰老人日記

雑記

コロナコロナはもう飽きた

うん、もうたいていの人が飽き飽きしているような気がする。だんだん感染者が増えつつあるというので、危機感をもってる人もいるようだが、そんなのはごく少数派だ。コロナなんて恐るるに足らん、とみんなうすうす感じてるんじゃないかな。少なくとも私のま…

Bassesse oblige

ノブレス・オブリージュという言葉がある。分ったような分らないような言葉だが、もし私の理解が正しいとすれば、それと対になるような表現も成り立つのではないかと思う。つまり、ノブレスの対であるところのバセス(bassesse, 卑賤)もまたなんらかのかた…

筋トレなるものあらずや

これをなすは、なおやむにまされり。というわけで、自粛生活における静かなブームに筋トレがあったらしい。なるほど、これならとくに道具もいらず、自宅で手軽にできる。そこで私もブームにのって、腕立てから始めてみることにした。動画サイトを見ると、プ…

オリンピックについて思うこと

コロナ騒ぎでオリンピックが延期となり、さらには中止になるかもしれないという。楽しみにしている人々にとっては由々しき事態だが、私としてはまるきり関心がなくて、どうでもいいや、という気持だった。しかし、スポーツにほとんど興味のない私も、かつて…

峠は越した模様

股間にデキモノができて医者に行ったのが先月の25日だった。あのころはまだ肌寒くて、道を歩いている人もまばらだった。それから2週間。思いがけず治療が長引いて、ほぼ毎日同じ道を歩いて病院へ通ったが、道行く人の数はだんだんふえてきて、今日は公園にた…

伝染性不寛容

不寛容は伝染する。自粛警察なんていうのは、伝染性の不寛容そのものではないか。自分のことを考えても、かなりこの不寛容が伝染している。ちょっと前まではこんな人間ではなかった。こんな、細かいことをいちいち気にする人間ではなかった。そう、不寛容の…

新世紀の幕開け

このたびのコロナ騒動で、やっと20世紀が終りを告げ、21世紀が始まるのかな、という気がしている。なにを寝ぼけたことを、もう20年も前から21世紀に入ってるよ、という声もあるだろう。まあそれはそうだが、われわれが〇〇世紀という言葉で思い浮べるあれや…

コロナ雑感

1992年(ほぼ30年前)に出た畑中正一の『現代ウイルス事情』(岩波新書)のなかに、「なぜ中国で最初に発生するのか」という一節がある。これによると、1918年のスペイン風邪(インフルエンザ)のウイルスも中国起源であり、地球上のほとんどすべてのウイル…

温故知新の解釈

ちょっと気になることがあったので、温故知新の意味をネットで調べてみた。すると──どのサイトも判で押したように、「過去を振り返って、そこから新たな知見を得ること」といった説明をあげてある。これは私には意外だった。というのも、私はこれまでこの言…

近況

この前ガヴォッチョロについて書いたが、それから十日ほど経った4月22日に、自分の股のつけねにガヴォッチョロ様のものができたのには驚いた。とにかくわけがわからないので病院で診てもらう。もちろん、ペストなどであるわけはないが、感染症にはちがいない…

日々是凶日

コロナコロナで 明け暮れて しづこころなし どうもこういう問題になると、なかなかデリケートで、うかつな発言はできないが、私は昨日だいぶ「3密」を破ってしまった。いうところの法事。なにもこんなときにやらなくてもいいのに……どうも日本人はまだ事態を…

ベースをリペアに出す

こんなことは書いてもしかたないのかもしれないが、まあ愚痴みたいなものですね。事の起りは、ベースの弦高を下げようとして、駒を削ったことだった。これがつい削りすぎて悲惨なことになった。胴の横に大きな穴が開いているのが前から気になっていたので、…

「ウイルス=悪霊」説

いつだったか、だれかのブログで「ハウスダストには悪霊が棲む」というような記述を見出して、なるほどなと思った。そのブログはおそらくオカルトや風水の見地から、掃除をすることの重要性を解いていたんだと思うが、私はオカルトとはべつに、もっと形而下…

幺微体

新型ウイルスが猛威を揮っているというので、連日報道がある。ヒアリのときでもそうだが、水際作戦なんてうまくいくわけがない。ちょっとした隙からいくらでも入ってくる。とくに日本のような、おめでたい国ではね。まあそれはそれとして、そういえばバクテ…

ボーディル・ヨーンスンのこと

自分のはてブを見直していたら、ボディル・ヨエンセンという人に関する(?)記事が目についた。その記事はもう読めなくなっているが、「動物愛好家、閲覧注意」という自分のコメントにはちょっと興味がわく。いったい、ヨエンセンとは何者か。ボディル・ヨ…

読書について

速読というのがあって、達人になると、一冊の本を数分で読むことができるらしい。もちろん努力の賜物であろうが、人間の脳というものがいかに高性能に作られているか、このことからもわかるだろう。私は、速読というほどではないが、若いころは本を読むのが…

余白を汚す者

上田敏の『牧羊神』に収められた、ギイ・シャルル・クロオの「譫語」のなかの忘れがたい一句、「古書に傍註して之を汚す者よ、額づき拝せ、われは神だ」これが原文ではどうなっているのか、前から気になっていたが、調べる手段がなかった。今ではネットとい…

d と z との間

ある本を読んでいると、「撫ぜる」という言葉が何度も出てくるので気になった。まあ意味はわかるが、ふつうは「撫でる」ですよね。ふしぎに思って調べてみると、どうも「撫でる」も「撫ぜる」もどっちもOKのようだ。どっちもOKということは、もしかしたらそ…

外国の詩のわからなさ

この季節は落葉がすごい。掃いても掃いても追っつかない。道ばたに溜った落葉が風に舞うのを見ながら、ふとヴェルレーヌの「秋の歌」を思い出す。これは上田敏の名訳によって日本でも広く知られている。私の母も、この詩と、カール・ブッセの「山のあなたの…

ピエール・ルイスは下司なやつ

ピエール・ルイス(正しくはルイ)を主人公にした映画が出たらしい。なんでいまごろ?このルイスなる作家には典雅な作品もあるが、気が狂っているとしか思えないものも多い。そんな彼の狂文を、『十二ダースの対話』からサンプル的に紹介しよう。内容に沿っ…

二人のプリュドム

prudhommerie とか prudhommesque とかいう言葉があって、いずれも Prudhomme(人名)に由来する。意味は、くだらないことを勿体ぶってしゃべる、ということで、そんな言葉の語源になったプリュドム氏というのは、いつしか私にとって俗物のひとつの典型にな…

三昧という言葉

今日メールを見ると、『井筒俊彦ざんまい』という本の紹介があった。なるほどそんなものが出たか、と思うだけだが、その「ざんまい」という言葉にちょっと引っかかった。どうも、私の語感では、「ざんまい」というのは軽く響くのである。なんとかざんまいと…

両性具有者としての神

中村隆夫氏の『象徴主義と世紀末世界』(東信堂、2019年)からの引用(p.127)。 旧約聖書の創世記中のアダムの創造に関する記述を見てみよう。「神は言われた。『我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這う…

サッポーの歌をギリシャ語で聴く

呉茂一の訳したサッポーの「アプロディテー讃歌」。これはなかなかすごいものではないかと思う。 はしけやし きらがの座に とはにます神アプロディタ、 天帝のおん子、謀計の織り手、御前にねぎまつらくは おほよその 世のうきふし なやみごともて 我が胸を …

ふと考えたこと

何を考えたかといえば、自分はどうしてはてなブログを使ってるんだろうか、と。それはたぶん、私が初めて使ったのがはてなダイアリーだったという、それだけの理由ではないか。いや、初めてではなかった、その前に、数日ヤフーのブログサービスを使ったこと…

狂詩について

東洋文庫(平凡社)の「江戸狂詩の世界」という本をぱらぱらめくっているが、どうも興が乗らない。中途半端にひねったものばかりで、がつんとくるものがないのだ。「江戸のエスプリがわからぬか」と通人にいわれそうだが、エスプリなんぞはどうでもいい。私…

骨折と呼ばれる文字

ドイツの古い本を、中身を見ずに発注するのはけっこうひやひやものだ。というのも、その字体があの装飾的なドイツ印刷体だと困るのである。単純に読めないので。しかし、戦前に出た本でも、これまではぜんぶふつうのローマ字(ラテン文字)だったので、警戒…

新紙幣の顔

渋沢栄一がどういう人か、何をした人か、私はよく知らないが、厨川白村が1922年(ほぼ100年前!)に書いた「悪魔の宗教」という論稿*1に、 多年うまい金儲けをして身は大資本家となつて貴族に列せられる頃には、引退して何食わぬ顔で今さら論語なぞを説いて…

ブログを中断している方々へ

はてなブログを始めてはや二ヶ月が過ぎた。自分とほぼ同時期に始めた人々のブログで、いつくか注目しているものもあったが、それらの大半がすでに活動休止状態に入っている。書き手がやる気をなくす理由としては、やはりアクセスが思うように伸びない、とい…

「二度読むに値しない本は、一度読むにも値しなかった」

表題の文は、F. リッケルトの言として伝えられるものですが、これが唯一正しい見解というわけではないでしょう。たとえば、「二度読む必要はないが、一度は目を通しておくべき本」とか、「ぜったいに二度は読まないだろうけど、とにかく買って読まずにはいら…