そぞろごと

本、鉱物、音楽、etc.

雑記

ベースをリペアに出す

こんなことは書いてもしかたないのかもしれないが、まあ愚痴みたいなものですね。事の起りは、ベースの弦高を下げようとして、駒を削ったことだった。これがつい削りすぎて悲惨なことになった。胴の横に大きな穴が開いているのが前から気になっていたので、…

「ウイルス=悪霊」説

いつだったか、だれかのブログで「ハウスダストには悪霊が棲む」というような記述を見出して、なるほどなと思った。そのブログはおそらくオカルトや風水の見地から、掃除をすることの重要性を解いていたんだと思うが、私はオカルトとはべつに、もっと形而下…

幺微体

新型ウイルスが猛威を揮っているというので、連日報道がある。ヒアリのときでもそうだが、水際作戦なんてうまくいくわけがない。ちょっとした隙からいくらでも入ってくる。とくに日本のような、おめでたい国ではね。まあそれはそれとして、そういえばバクテ…

ボーディル・ヨーンスンのこと

自分のはてブを見直していたら、ボディル・ヨエンセンという人に関する(?)記事が目についた。その記事はもう読めなくなっているが、「動物愛好家、閲覧注意」という自分のコメントにはちょっと興味がわく。いったい、ヨエンセンとは何者か。ボディル・ヨ…

読書について

速読というのがあって、達人になると、一冊の本を数分で読むことができるらしい。もちろん努力の賜物であろうが、人間の脳というものがいかに高性能に作られているか、このことからもわかるだろう。私は、速読というほどではないが、若いころは本を読むのが…

余白を汚す者

上田敏の『牧羊神』に収められた、ギイ・シャルル・クロオの「譫語」のなかの忘れがたい一句、「古書に傍註して之を汚す者よ、額づき拝せ、われは神だ」これが原文ではどうなっているのか、前から気になっていたが、調べる手段がなかった。今ではネットとい…

d と z との間

ある本を読んでいると、「撫ぜる」という言葉が何度も出てくるので気になった。まあ意味はわかるが、ふつうは「撫でる」ですよね。ふしぎに思って調べてみると、どうも「撫でる」も「撫ぜる」もどっちもOKのようだ。どっちもOKということは、もしかしたらそ…

外国の詩のわからなさ

この季節は落葉がすごい。掃いても掃いても追っつかない。道ばたに溜った落葉が風に舞うのを見ながら、ふとヴェルレーヌの「秋の歌」を思い出す。これは上田敏の名訳によって日本でも広く知られている。私の母も、この詩と、カール・ブッセの「山のあなたの…

二人のプリュドム

prudhommerie とか prudhommesque とかいう言葉があって、いずれも Prudhomme(人名)に由来する。意味は、くだらないことを勿体ぶってしゃべる、ということで、そんな言葉の語源になったプリュドム氏というのは、いつしか私にとって俗物のひとつの典型にな…

三昧という言葉

今日メールを見ると、『井筒俊彦ざんまい』という本の紹介があった。なるほどそんなものが出たか、と思うだけだが、その「ざんまい」という言葉にちょっと引っかかった。どうも、私の語感では、「ざんまい」というのは軽く響くのである。なんとかざんまいと…

両性具有者としての神

中村隆夫氏の『象徴主義と世紀末世界』(東信堂、2019年)からの引用(p.127)。 旧約聖書の創世記中のアダムの創造に関する記述を見てみよう。「神は言われた。『我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這う…

サッポーの歌をギリシャ語で聴く

呉茂一の訳したサッポーの「アプロディテー讃歌」。これはなかなかすごいものではないかと思う。 はしけやし きらがの座に とはにます神アプロディタ、 天帝のおん子、謀計の織り手、御前にねぎまつらくは おほよその 世のうきふし なやみごともて 我が胸を …

ふと考えたこと

何を考えたかといえば、自分はどうしてはてなブログを使ってるんだろうか、と。それはたぶん、私が初めて使ったのがはてなダイアリーだったという、それだけの理由ではないか。いや、初めてではなかった、その前に、数日ヤフーのブログサービスを使ったこと…

狂詩について

東洋文庫(平凡社)の「江戸狂詩の世界」という本をぱらぱらめくっているが、どうも興が乗らない。中途半端にひねったものばかりで、がつんとくるものがないのだ。「江戸のエスプリがわからぬか」と通人にいわれそうだが、エスプリなんぞはどうでもいい。私…

骨折と呼ばれる文字

ドイツの古い本を、中身を見ずに発注するのはけっこうひやひやものだ。というのも、その字体があの装飾的なドイツ印刷体だと困るのである。単純に読めないので。しかし、戦前に出た本でも、これまではぜんぶふつうのローマ字(ラテン文字)だったので、警戒…

新紙幣の顔

渋沢栄一がどういう人か、何をした人か、私はよく知らないが、厨川白村が1922年(ほぼ100年前!)に書いた「悪魔の宗教」という論稿*1に、 多年うまい金儲けをして身は大資本家となつて貴族に列せられる頃には、引退して何食わぬ顔で今さら論語なぞを説いて…

ブログを中断している方々へ

はてなブログを始めてはや二ヶ月が過ぎた。自分とほぼ同時期に始めた人々のブログで、いつくか注目しているものもあったが、それらの大半がすでに活動休止状態に入っている。書き手がやる気をなくす理由としては、やはりアクセスが思うように伸びない、とい…

「二度読むに値しない本は、一度読むにも値しなかった」

表題の文は、F. リッケルトの言として伝えられるものですが、これが唯一正しい見解というわけではないでしょう。たとえば、「二度読む必要はないが、一度は目を通しておくべき本」とか、「ぜったいに二度は読まないだろうけど、とにかく買って読まずにはいら…

百科と百学連環

「~百科」というのが安っぽい響きをもつのは否定できない。それは子供のころから「~百科」という題名の本をいやというほど目にしているからで、「百科」といえば、中身の薄い概説書のような印象をもってしまうのである。しかしこの「百科」はもとはエンサ…

語学について

先日アマゾンで井筒俊彦の『イスラーム文化』という本(岩波文庫)を買おうとしたら、「お客様は2010年にこの本を購入されています」というようなメッセージが出た。え? と思って本棚を見たら、たしかにその本はうちにある。買って読んだのは間違いない。に…

リリアン・ギッシュ──永遠の相のもとに

日夏耿之介が大正十五年に書いた雑文「中世活動写真考」に、 『中世智慧の輪』の中から活動写真の項をしらべ出して研究して世間をあつと云はせんものと、……さて若し若しあつたとしたらばなんと思召す、イゾルデ姫にリリアン・ギッシュ見たやうな美女が扮し、…

なかやすみ

── 一ヵ月の連投、お疲れ様。──どうも。──手ごたえはどうかね?──うーん、まあスターをもらったり、読者になってもらったりしてますね。──アクセス数は?──5くらいですね。──これからどうする?──とりあえずペースを落とします。──やはり一日一個はきついか…

度忘れの心理

ところどころ暗記するくらい繰り返し読む、というのは若いころにはありがちだ。そんなふうにして読んだもののひとつに芥川の「奉教人の死」がある。この小説の末尾の数行はすばらしい。今でも折にふれて記憶に浮んでくるが、ある箇所にきて急に度忘れをして…

永遠の夏 ── L'été éternel

永遠の、とくれば、夏、ですよね。永遠の冬なんていうのは考えにくい。ましてや永遠の春や秋などありえない。それらは来てはまた過ぎ去るものだ。これは夏をあらわすフランス語が「エテ」なので、それが「エテルネル(永遠の)」を連想させるのだろうか。い…

庭園について

昨日の続きだが、辞書を「ことばのその」とみなす観点が私にとって非常に好ましいのは、庭そのものが魅力的な存在だからだ。それは子供のころ、母といっしょに庭でいろんな草花を植えて楽しんだ記憶があるからだろうか?それもあるとは思うが、それだけでは…

変な変人

会社の同僚と話をしていると、あいつは変人だとかこいつは変人だとか、社員を片っ端から変人扱いし始めたので、わたしはこういった。──世の中には二種類の人間しか存在しない。ひとつは変な変人、もうひとつは変でない変人。変か、変でないかの違いがあるだ…

蒐集について

私は子供のころからコレクションが嫌いで、コレクションを趣味にしている人も苦手だった。モノを集めるのは不健康なことで、コレクターは敬遠すべき存在だというのがそのころの私の考えだった。そんな人間が、2013年2月から2017年12月まで、足かけ5年のあい…

日々是更新

はてなブログのアクセス数は、わりあい正確ではないかと思う。ゼロならゼロで、はっきり出ますからね。これが他のブログサービス、たとえば gooブログとかだと、どうもあまり信用ができない。goo はメールで週一回、アクセス数を知らせてくれるが、それをみ…

私の考える国民的作家

村上春樹が選ぶ国民的作家は下記の十名らしい。 夏目漱石 森鴎外 島崎藤村 志賀直哉 谷崎潤一郎 川端康成 太宰治 三島由紀夫 芥川龍之介 なるほど、すべて文豪の名に恥じない人ばかりだ。しかし、この中でも真の国民的作家ということになると、藤村や志賀直…

海は広いな大きいな

今週のお題「海」海ですか。もちろん好きですよ。ただ、歌にもあるように、大きすぎますね。私たちの愛している海は、広大な全体のほんの一部です。それも、私たちにとって都合のいい一部ですね。そりゃ、好きにもなりましょうよ。私たちは、海から生まれま…