短小亭日乗

短くて小さい日記

貧乏臭くない喫煙のしかた

半年ほど前から細々と、三ヶ月ほど前から本格的に喫煙を再開してみた。まずパイプから始めて、その次に手を出したのが手巻タバコだ。これは2パック買ってやめにした。理由は、あまりにも貧乏臭いからだ。

いやはや、どうにもこうにもここまで貧乏臭い喫煙法があるだろうか。まず手で巻くという作業。これをやると、細かいシャグがあたりに飛び散る。その飛び散ったシャグを指先で集めてまた戻すにしろ、そのまま捨てるにしろ、貧乏臭いことに変りはない。それからできあがった手巻タバコの見てくれがまたおそろしく貧乏臭い。ふつうの紙巻と比べると、その細身で寸足らずのサイズ感と、なんなくクシャクシャしたような質感とが絵に描いたような貧乏臭さを醸し出す。じっさいに喫ってみると、味わいという点ではまるでパイプ煙草の足元にも及ばず、また紙巻ほどの爽快感もない。ひたすら貧乏臭さのみが煙となって立ち昇るのだ。

これにはさすがの私も辟易して、二度とは吸うまいと決心した。まあ、いちおう手巻なるものに興味があったので、それが満たされただけで満足しよう。手巻を知らないのでは、やはり喫煙者としては片手落ちの謗りを免れないだろうから。

そこで次に手を出したのが葉巻、すなわちドライシガーだ。コイーバのクラブシガリロというのを試してみたところ、これがすこぶる私の気に入った。とにかくこれまで吸ってきたどんなタバコとも違うその味わいは、文字通り私を陶然とさせるに足るものだった。私はこれを吸ってボードレールの詩の深い意味(?)をようやく悟ったのである。それはおおげさにいえば匂いというものの弁証法的なあり方に目を開かされたということでもある。


葉巻よ、おまえの燻らす紫の煙には
よほどの不思議が籠っている。

それは乾草の匂いがする。
牛なぞの長く寝ていた石の匂いがする。……

土の匂い、川の匂い、
愛の匂い、火の匂いがする。……


ドライシガーでこれなのだから、プレミアムシガーとなるといったいどんな味がするのか。

そこでまずモンテクリストの3番、それからロメオイフリエタの2番を試してみた。その結果は──

まずモンテクリストだが、ほとんど煙が出て来ないのだ。巻き方が堅すぎるのか、加湿のしすぎか、いずれにせよ煙が出ないのでは話にならない。悪戦苦闘の末放り出すことにした。

次のロメオはなんとか吸うことができたが、これを小一時間ほど燻らせているうちに、猛烈なニコチン酔いを起してしまった。プレミアムシガーに含まれるニコチンやタールがどれほど恐るべきものか、身をもって知らされたわけだ。

こうしてプレミアムシガーの手ひどい洗礼を受けたわけだが、それよりも私に衝撃的だったのは、葉巻を吸う姿がまるでサマになっていないことだった。鏡に映してみる私の顔は、みごとなまでに葉巻と不調和なもので、うすら寒く貧乏臭い印象を残すのみだった。紙巻やパイプならそこそこ似合うつもりだったのに、葉巻ではそうはいかず、つくづく自分の顔の貧乏臭さに嫌気がさした。

もちろん不慣れということもあるだろうけど、ここまで葉巻の似合わない男だったとは……

といっても、そうそうに撤退したわけではない。そんなに早く撤退するにはあまりに魅力的なのが葉巻というものなのだ。どうにかして己の姿から貧乏臭さを払拭して、葉巻に似つかわしいものに改造しなければならぬ。そのためにはどうすればいいか。

こういう課題をつきつけられたのもことの成り行きというものだろう。わが身の内なる貧乏臭さに気づかせてくれただけでも葉巻を試してよかったと思っている。

貧乏なのは生活上致し方ないことで、とくに恥とすべきものではないが、貧乏臭さは道徳上の恥であり、倫理上の悪である。

というわけで、しばらくは葉巻を相手に貧乏臭くない喫煙法を模索しようと考えている。