短小亭日乗

短くて小さい日記

ヒュミドールで葉巻を育てる

私が最初にプレミアムシガーを喫したのはふた月前のことだが、そのころネットで読み漁っていた雑多な記事のなかに、「ヒュミドールで葉巻を育てる」というような文言があって私の注意を惹いた。私はこれを見て、とっさにホムンクルスのことを思い出した。ホムンクルスは周知のようにレトルトのなかで育てる。こうしてレトルトのなかのホムンクルスと、ヒュミドールのなかの葉巻とが類比的なものとして、私の脳裏に印象づけられたのである。

そうなるともうヒュミドールが欲しくてたまらなくなる。とはいうものの、手持ちの葉巻がないのにヒュミドールを買ってどうするのか。その前に、始めたばかりの葉巻趣味がはたして今後も続くかどうか、自分でもよくわからないのだ。ヒュミドールを買ったものの、けっきょくは無用の長物になり果ててしまうおそれは大いにある。

そうなっては困るので、市販の最安値のものを求めることにした。どうせ遊びなのだから、いちおう形だけ整えようという心づもりだ。

その安物のヒュミドールにシガリロや安葉巻を並べてみる。この時期、あまり湿度に気を配る必要はないが、デジタルの小さい湿度計も購入した。




こんなままごとのような行為がじつに楽しいのである。これらの葉巻ははたしてちゃんと育ってくれるかどうか、そんなことはあまり問題ではない。子供が鉛の兵隊さんを並べて遊ぶように、私はヒュミドールに葉巻を並べて楽しんでいるだけのことだ。

本格的に葉巻を熟成させるには、もっと現実的は方法がある。ジップロックとボベダ、それにワインセラーを用意するのがとりあえずのベストだ。しかしそういうのは現実的すぎて、遊びの要素があまり感じられないのが私には物足らないのである。それよりは、安ヒュミドールに安葉巻を並べているほうがずっとおもしろい。どのみち私には葉巻の微妙は味わいなどはわからないのだから。


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葉巻の味わいということでいえば、テイスティングと称してレヴューを書くことが行われている。そこで使われる用語には、ナッティー、ウッディー、フルーティ、スパイシー、アーシーと、いろんな形容詞が並んでいる。さらにはチョコレート味、コーヒー味、ミルク味、シナモン臭、燻製臭等々、挙げればきりがない。

しかし、私にはそういった味わいの分析はまったくといっていいほど不可能である。私にとって葉巻の味は、甘いか、辛いか、苦いか、その三種類の要素の消長である。そしてどの葉巻にも通奏低音のように持続するある香りがある。それはしいていえば柏餅に巻いた葉っぱの匂いだ。酸味といわれるものはおそらくこの匂いに相当するのではないかと思っている。

そこで思い出すのは、ヤーコプ・ベーメが自然界の事象を説明するのに用いた「苦い、甘い、酸い、鹹い」の四つの味覚だ。上に挙げた私なりの葉巻の味わいとうまく合致するように思うが、どうか。いずれにせよ、葉巻のなかにベーメの神秘説が含まれていると考えるのは、私には非常に好ましいことだ。


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さて、上にあげた四つの味わいのほかに、雑味と称されるものがある。これの正体が何なのか、いまのところわからない。そもそも諸家が雑味と称しているものが同じものを指しているかどうか、まずそれ自体が疑問なのだ。

私見によれば、この第五元素(キンタ・エッセンティア)ともいいたい雑味成分は、おそらく煙草葉の葉脈に由来するものではないかと思う。葉脈が燃えることにより生じる味であるからには、それは喫煙の全般に亙って現れるはずであり、けっして終盤になって初めて出てくるものではないのだ。それと感じらなくても、雑味はつねに存在する。そしておそらくこの雑味こそが、タバコのボディの強さを決定するものであり、雑味のない葉巻はいくら味がよくてもやはりどこか物足らないものが残るように思う。


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城アラキ氏の『葉巻の時間』は良書だと思うが、冒頭に氏の書いている「一本の葉巻には時間を止める力がある」という箴言(?)にはちょっと疑問を呈したい。

というのも、私の経験では、葉巻を吸っている一時間か、一時間半ほどの時間は、ほんとうにあっという間に過ぎ去ってしまうのだ。映画を見ていても、一時間半といえばけっこうな長さの時間だろう。それが、葉巻を相手にすると、ほぼ瞬時に消え去ってしまう。

だから、城アラキ氏の箴言を私なりに書き換えれば、「一本の葉巻には時間を消し去る力がある」ということになる。

時間を止めるのは、むしろパイプ喫煙だろう。私はパイプを相手に過ごすとき、まるで時間がストップしたかのような錯覚をおぼえることが再々ある。パイプを吸っていて、ずいぶん時間が経ったような気がして時計を見ると、せいぜい5分か10分しか経っていない。王質爛柯の故事のように、パイプ喫煙には一瞬のなかに永遠を幻視させるような趣があるように思う。