短小亭日乗

短くて小さい日記

永遠の夏 ── L'été éternel


永遠の、とくれば、夏、ですよね。永遠の冬なんていうのは考えにくい。ましてや永遠の春や秋などありえない。それらは来てはまた過ぎ去るものだ。

これは夏をあらわすフランス語が「エテ」なので、それが「エテルネル(永遠の)」を連想させるのだろうか。いやいや、そんな浅薄な理由であるはずがない。

思うに、夏が永遠の感覚を喚び起すのは、おそらく子供のころの夏休みの存在に関係がある。夏休みに入ったころの、つまり7月下旬のあの感覚、休みがいつまでも続くようなあの甘美な感覚が、おそらく「永遠の夏」の印象の因ってきたるところだろう。

私はごろりと横になって目をつぶり、扇風機の風をあびる。そうすると、やはりそういう姿勢で体験した過去の夏の思い出が鮮やかによみがえってくる。それは子供のころ住んでいた安アパートの二階であり、高校のころクラブ活動に出かける前のつかのまの休息であり、あるいは社会人になってから仕事で出た現場での昼の休憩だったりする。

私という中心のまわりに同心円状に描かれていく夏のイメージ。これがあるために、夏は一年でいちばん好きな季節になっている。暑くてだるくて何もする気がしないから嫌いだ、という人もいるだろう。しかしこれも、何もせずにぼーっとしている状態がどれほど人生を豊かにしてくれるか知らない人のいいぐさだ。

西行は花のさかり(つまり春)に死ぬことを望んだ。私は蝉の声をききながら夏のさかりにぽっくり死にたいと思う。永遠の夏のなかに永遠に葬られたいと思うのである。