短小亭日乗

短くて小さい日記

藤原かね子について


今年の2月にYouTubeで『浅草の灯』という古い映画を見たが、そのとき印象に残ったのが藤原か祢子という女優だった。かつてここにアップしていた自分の日記を見ると、


2月17日(木)
夜「浅草の灯」視聴。杉村春子憎まれ役を好演せり。紅子役の女優よけれど情報少し。藤原か祢子となん。

2月19日(土)
映画依存症いまだ抜けず。「女性の戦い」視聴。藤原か祢子チョイ役にて出づ。また彼女出づるとて「暖流」を見返したるもほんの数秒にては印象に残らざるも無理はなし。次に見し「兄とその妹」、これまたチョイ役なり。彼女おそらくはロシア人の血を引けるか。いずれにせよ端役ばかりでは探索するにも張り合いなし。


ロシア人云々は私の妄想だが、容貌や体格に日本人離れしたエキゾチックなものを感じる。『浅草の灯』は1937年の映画だから、か祢子は当時18歳で、ヒロインの高峰三枝子よりも年下なのだが、すでに堂々たる演戯をみせている。その容貌のせいか、金髪のウィッグもまったく違和感がない。この調子でいけば、洋々たる前途が展けていたはずなのだ。ところがあにはからんや、その後はこれといった出演もなく、鳴かず飛ばずで終ってしまった。



『浅草の灯』で紅子を演じる藤原かね子


この人は名前の表記が一定してなくて、

か祢子
か禰子
かね子
加弥子
か弥子
加根子

といった表記が入り乱れている。某所にアップされていたプロフィールによれば、田中かね子というのが本名らしい。


大正八年十一月九日、赤坂に田中かね子を本名として出生。青山小学校から青山高等女学校二年を卒業後、洋裁を三ヶ月和裁を一年修めて昭和十年芸能喫茶部のレコード係として勤務。閉店の為に家庭に在つたが、大船が新〇〇グループの新人を募つた時に島津監督に見出されて大船「花形選手」にデビュー、続いて「浅草の灯」に大役で〇〇せるも、〇〇〇〇を多くの作品に〇〇乍らも真剣に〇〇してゐる。(大船)


判読しかねる字は〇〇としておいた。

次に彼女の出演作を表にしてみる。ネットで漁った結果なので、あまりあてにはならないが。


成瀬巳喜男『雪崩』(1937)弥生の女中

島津保次郎『浅草の灯』(1937)紅子

島津保次郎兄とその妹』(1939)

清水宏『花形選手』(1937)ハイキングの女の一人

清水宏『桑の実は紅い』(1939)

清水宏『女の風俗』(1939)

清水宏『お嬢さんの日記』(1939)

清水宏『暁の合唱』(1941)

蛭川伊勢夫『人の気も知らないで』(1938)

蛭川伊勢夫『涙の責任』前後(1940)

蛭川伊勢夫『君よ共に歌はん』(1941)

佐々木康『風の女王』(1938)喫茶店のキャッシャー

佐々木康『女性の戦ひ』(1939)ショップガール洋子

佐々木啓祐『半処女』(1938)女給

佐々木啓祐『母は強し』(1939)

恒吉忠康、深田修造『生活の勇者』(1938)

吉村公三郎『暖流』(1939)看護婦長

渋谷実『新しき家族』(1939)

野村浩将『愛染かつら』完結篇(1939)


これだけ見れば短期間にずいぶんたくさんの作品に出演しているようだが、ほとんどが二言三言発しただけで消えるような端役ばかりで慊らない。私が見たかぎりでいえば、『浅草の灯』と『女性の戦ひ』ではいちおう彼女の女優としての演戯がうかがえる。あと未見だが、『涙の責任』ではけっこう重要な役をふられているようだ。

それにしても、これだけの逸材(と私が信じるもの)がどうして映画界から突然消えてしまったか。そういうことはよくあることなのかもしれないし、不遇というものはどこにでもある。しかし主役・準主役を演じたものがひとつもないのでは忘れ去られてもしかたがない。

私の思うのに、たとえば谷崎潤一郎の『痴人の愛』のナオミ役を彼女が演じていたらどうだったろうか。ああいうバタ臭いヴァンプをやるにはうってつけではなかったか。そんなことを考えるところからしても、私は彼女のなかにある種の宿命の女を見出しているのかもしれない。それでなければ、たった一本の映画を見ただけでここまで惹かれるいわれがない。