そぞろごと

退嬰老人日記

書物

『抱朴子』

昨日ちょっと触れた抱朴子、もしかしたら何か有益な養生法が書いてあるのではないか、と思ってざっと目を通してみたが、残念ながらそれらしい記事を見つけることはできなかった。岩波文庫版の p.232 に、「筋骨を調理するに、偃迎の方有り」と書かれているが…

鷲巣繁男『戯論』

由良君美の『みみずく古本市』で見て興味をもったもので、だいぶ前に手に入れたまま積読になっていた。本書の副題に「逍遙遊」とあって、おそらくこれはマラルメのディヴァガシオンから想を得たものだろう。しかし、その divaguer ぶりは本家をはるかに凌駕…

深見東州『強運』

本書はいまでもたまに電車の中の広告で目にする。けっして新刊というわけではないのだ。まあ、あんまりたびたび目にするので、機会があれば読んでみたいと思っていた。しかし、そんな機会はなかなかこない。で、このたび思い切って自分で買ってみた(ネット…

宮崎湖処子『帰省』

筑摩の文学全集(初代)の「明治名作集」を手に入れて、最初から順に読んでいったが、どの作品もじつにおもしろい。個々の作品を覆っている、いまは失われた明治時代の雰囲気が、たまらなく魅力的なものに感じられる。ところが、宮崎湖処子の「帰省」にいた…

ホフマンスタールについて

彼について何か書くほどよく読んでいるわけではないが、ドイツ語で最初に一冊読み通した本が、彼の『道と出会い』だった。読み通したといっても、薄っぺらいレクラム文庫なので、たいしたことはないが、やっぱり最初の一冊というのは後々まで影響する。私に…

『尼僧ヨアンナ』について

私がこれまで見た映画の中で、ベストテンを選ぶとすれば、必ず入ってくるのがカヴァレロヴィッチの『尼僧ヨアンナ』だ。このたび、ちょっと気になることがあったので、原作の方も覗いておくことにした(岩波文庫、関口時正訳)。気になることというのは、映…

ゾラ『獲物の分け前』

中井敦子訳のちくま文庫。耐えがたく退屈で、読み了えるのに半年ほどかかってしまった。ネットで感想をみると、案に相違して、みなさん意外と本書を楽しんで読んでいるようだ。退屈に思ったのは私がわるかったのか。たぶんそうだろう、ゾラほどの作家がつま…

『四畳半襖の下張』金阜山人戯作(伝・永井荷風)

江戸三大奇書の向うを張って、好色三大伝奇書なるものが一般に行われているらしい。その内訳は、明治の『袖と袖』、大正の『乱れ雲』、それに昭和の『四畳半襖の下張』である。成り行きとはいえ、前二作を読んだ手前、最後のものにも目を通しておくのが筋だ…

『袖と袖』(伝・小栗風葉)

前回の続きで手に取ってみた一冊。小栗風葉という、今日ではだれも知らない(?)作家の手すさびになるとされる春本。これもやはり筋らしい筋のない、エピソードをつなげただけの小説で、私の当初のテーゼ「春本は家庭小説の一種である」はどうやら形無しに…

『乱れ雲』(伝・佐藤紅緑)

この前、家庭小説について書いたとき、春本も広義の家庭小説に入るのでは? というようなことを書いた。まあ、そんなことを真に受ける人もいないと思うが、いちおう検証のつもりで、古典的な春本を読んでみることにした。河出文庫で何冊か出ている秘本シリー…

高山宏『夢十夜を十夜で』

高山先生が学生たちを相手に『夢十夜』の講義をした記録のようなもの。多少は編集されていると思うが、だいたいこんな感じで授業が進んだ、という雰囲気は伝わってくる。最初のほうに、「この十篇を一貫してマニエリスムの文学とは何かを論じられることにな…

井筒俊彦『コスモスとアンチコスモス──東洋哲学のために』

この本の巻末に添えられた司馬遼太郎との対談の中で、著者が「英独仏語なんぞは手ごたえがなさすぎて外国語をやってるという気がしない」と放言(?)しているのがおもしろかった。たしかに、そんなものは赤子の手をひねるようなものですよね。しかし、この…

サイモン・ミットン編『現代天文百科』

この前はてなブログで「乗り物」というお題が出たので、乗り物としての地球について書いた。それが機縁で宇宙関連の動画を見たりしているうちに、ふと思い出したのが、私が若いころ、本屋で手に取って思わず瞠目した大冊のことだ。それはたしか岩波書店から…

エドガー・ポーの世界

お盆といえばやはり怪談物ですよね。うちにも怪談と名のつく本はある。昔買った、古ぼけた全集の端本。それを開いて読んでみると──これが意外におもしろい。思わず釣り込まれるが、その話は後回しにしよう。 * * * 西洋怪談といえば、エドガー・ポーと相…

井筒俊彦『意味の深みへ──東洋哲学の水位』

ときどきひどく分りにくい文を書く人がいる。いわゆる悪文家。もうちょっとわかりやすく書けませんかね、と文句のひとつもいいたくなるような人々だ。井筒俊彦はその正反対だ。かれの書く文はすばらしく明快である。かれの本を読んでいると、こっちまで頭が…

家庭小説

家庭小説というジャンルがある。正しくは「あった」というべきか。というのも、このジャンルの最盛期は明治・大正時代で、昭和に入るとともに衰退し、今ではもはやその影すら残っていないのだから。しかしほんとうにそうか? たとえば、NHKで昔からやってい…

高山宏監修『蒐集』

コレクションというのは、やったことのない人にはバカみたいに映るかもしれないが、やってみればこれほどおもしろいものはない。コレクションの効用。まず生活に張りと緊張が与えられて、毎日が非常に充実した日々となる。自分のことを例にあげれば、それは…

稲垣足穂『少年愛の美学』

これはいいときにいいものを読んだ。というのは──男性も更年期を迎えるころにはあっちのほうがさっぱりご無沙汰になる。それはそれでいいのだが、これまでP(すなわち penis)を中心にして築き上げてきた自我が、Pの衰勢とともに崩壊の危機にさらされるので…

山崎俊夫『夜の髪』

奢灞都館から出た作品集の第五巻。四巻まではわりと楽に手に入ったが、最終巻がなかなか見つからなかった。諦めて図書館で借りようか、とも思ったが、けっきょく定価の倍ほどのお金を払って購入することにした。しかしまあこれは買っておいてよかったと思う…

宇能鴻一郎『夢十夜』

その特異な文体で一世を風靡した(?)宇能氏が、2014年に新著を出していたことを知る。「生きとったんかいワレ!」とはこういうときに使うセリフだろう。いや、とにかくびっくりした。で、とりあえずそのご高著(?)を贖わせていただきました。帯には「三…

マラルメとボルヘス

マラルメの命題「世界は一冊の本となるべく存在している」は、100年前には気の利いたキャッチコピーだったかもしれないが、こんにちではどうだろうか。そのマラルメのあとをうけて、ボルヘスは「砂の本」を夢想する。時間的にも空間的にも無限のものを一冊に…

レルベルグとフォーレ

ベルギー象徴派の代表的な詩人にシャルル・ヴァン・レルベルグがいる。この人は私のちょうど100歳年上で、生まれた月もいっしょなら、日も3日しか違わない。だからどうしたといわれるかもしれないが、こういうところにもなんとなく親近感をおぼえる。レルベ…