短小亭日乗

短くて小さい日記

書物

鷲巣繁男『戯論』

由良君美の『みみずく古本市』で見て興味をもったもので、だいぶ前に手に入れたまま積読になっていた。本書の副題に「逍遙遊」とあって、おそらくこれはマラルメのディヴァガシオンから想を得たものだろう。しかし、その divaguer ぶりは本家をはるかに凌駕…

『尼僧ヨアンナ』について

私がこれまで見た映画の中で、ベストテンを選ぶとすれば、必ず入ってくるのがカヴァレロヴィッチの『尼僧ヨアンナ』だ。このたび、ちょっと気になることがあったので、原作の方も覗いておくことにした(岩波文庫、関口時正訳)。気になることというのは、映…

高山宏『夢十夜を十夜で』

高山先生が学生たちを相手に『夢十夜』の講義をした記録のようなもの。多少は編集されていると思うが、だいたいこんな感じで授業が進んだ、という雰囲気は伝わってくる。最初のほうに、「この十篇を一貫してマニエリスムの文学とは何かを論じられることにな…

井筒俊彦『コスモスとアンチコスモス──東洋哲学のために』

この本の巻末に添えられた司馬遼太郎との対談の中で、著者が「英独仏語なんぞは手ごたえがなさすぎて外国語をやってるという気がしない」と放言(?)しているのがおもしろかった。たしかに、そんなものは赤子の手をひねるようなものですよね。しかし、この…

サイモン・ミットン編『現代天文百科』

この前はてなブログで「乗り物」というお題が出たので、乗り物としての地球について書いた。それが機縁で宇宙関連の動画を見たりしているうちに、ふと思い出したのが、私が若いころ、本屋で手に取って思わず瞠目した大冊のことだ。それはたしか岩波書店から…

エドガー・ポーの世界

お盆といえばやはり怪談物ですよね。うちにも怪談と名のつく本はある。昔買った、古ぼけた全集の端本。それを開いて読んでみると──これが意外におもしろい。思わず釣り込まれるが、その話は後回しにしよう。 * * * 西洋怪談といえば、エドガー・ポーと相…

井筒俊彦『意味の深みへ──東洋哲学の水位』

ときどきひどく分りにくい文を書く人がいる。いわゆる悪文家。もうちょっとわかりやすく書けませんかね、と文句のひとつもいいたくなるような人々だ。井筒俊彦はその正反対だ。かれの書く文はすばらしく明快である。かれの本を読んでいると、こっちまで頭が…

稲垣足穂『少年愛の美学』

これはいいときにいいものを読んだ。というのは──男性も更年期を迎えるころにはあっちのほうがさっぱりご無沙汰になる。それはそれでいいのだが、これまでP(すなわち penis)を中心にして築き上げてきた自我が、Pの衰勢とともに崩壊の危機にさらされるので…

山崎俊夫『夜の髪』

奢灞都館から出た作品集の第五巻。四巻まではわりと楽に手に入ったが、最終巻がなかなか見つからなかった。諦めて図書館で借りようか、とも思ったが、けっきょく定価の倍ほどのお金を払って購入することにした。しかしまあこれは買っておいてよかったと思う…

マラルメとボルヘス

マラルメの命題「世界は一冊の本となるべく存在している」は、100年前には気の利いたキャッチコピーだったかもしれないが、こんにちではどうだろうか。そのマラルメのあとをうけて、ボルヘスは「砂の本」を夢想する。時間的にも空間的にも無限のものを一冊に…

レルベルグとフォーレ

ベルギー象徴派の代表的な詩人にシャルル・ヴァン・レルベルグがいる。この人は私のちょうど100歳年上で、生まれた月もいっしょなら、日も3日しか違わない。だからどうしたといわれるかもしれないが、こういうところにもなんとなく親近感をおぼえる。レルベ…