短小亭日乗

短くて小さい日記

エドガー・ポーの世界


お盆といえばやはり怪談物ですよね。うちにも怪談と名のつく本はある。昔買った、古ぼけた全集の端本。それを開いて読んでみると──

これが意外におもしろい。思わず釣り込まれるが、その話は後回しにしよう。


     * * *


西洋怪談といえば、エドガー・ポーと相場はきまっている。その歴史は長い。なにしろポーが最初に紹介されたのは明治20年、つまり1887年のことなのである。

饗庭篁村による「黒猫」は明治時代らしい大らかな訳文で、原文とかけ離れているところにも味がある。

多くの飼物のうち如何いふ訳か私ハ一番此猫が可愛くて朋友よりも睦じくし食物も人の手を借らずに是だけは自分で養うほど。プルトウも又私の跡を慕ひ外から戻れバ遠くより足音を聞て走ツて来る。夫ゆゑ家へ帰ツて上り段で最初私しの眼につくものは何時も此の黒天鵞絨の愛敬袋であツた……


そのポーの、怪談の代表作である「アッシャー家の崩壊」を大胆に翻案したジャン・エプスタンのサイレント映画がある。「アッシャー家の末裔」という題で、youtube でも視聴できるが、小さい画面では肝心な情報を見落としてしまうので、これはちゃんとしたDVDで見たほうがいい。



このエプスタンの映画でちょっと面食らうのは、これが怪奇映画でありながら、ひとりの犠牲者も出ることなく、ハッピーエンドで終っていることだろう。主人公二人が死んでしまう原作とは大違いだ。

原作では兄妹間の近親相姦がほのめかされていたが、この映画ではむしろ母子相姦ともいうべきものがほのめかされている。というのも、ロデリックの妻のマデラインは、先代の妻、つまり自分の母の生まれ変わりなのだ。なぜそれが分るかというと、先代の妻の肖像画に Ligeia と銘があって、ポーの「リジイア」を知っていれば、なるほどそういことか、と納得が行くのである。

こういう観点からすると、アッシャー家の呪いというのは、主人公が自分の母を妻にしているというエディプス的状況に由来するもので、火災によってアッシャー家のすべてが灰燼に帰したとき、主人公(たち)はようやく積年の呪いから解放されるのである。

この映画のすばらしいところは、原作でロデリックが描くことになっている絵の情景が、そのままセットに活かされていることだ。あの異様な室内空間の秘密が知りたかったら、原文を見ればいい。私見によれば、そこにはおそらくピラネージの描く「牢獄」シリーズも影を落としている。


     * * *


ところで、このポーの短篇をドビュッシーがオペラに仕立てようとして果たさず、未完のまま終ってしまったことはよく知られている。私はプレートルの指揮するCDでその復元された部分の録音を聴いていたが、フランス語の台詞が聞き取れないので、何がどうなっているのかさっぱり分らなかった。

ネットを見ると、その問題作の「試補筆版」が、青柳いづみこさんのプロデュースによって実現したとある。youtube にあがっている動画を見て、私は驚いてしまった。ちゃんと字幕があって歌の内容がわかるし、なによりもピアノ伴奏と、歌手たちがすばらしい。まったく危なげのない歌唱で、外人に見せても恥ずかしくない出来だ。

バリトン三人にソプラノ一人、しかもソプラノの出番がほとんどないので、一般的にはちょっと厳しいものがあるだろう。しかし私には、長いこと気になっていた曲だけに、りっぱな演奏で聴かせてもらえたのは非常にありがたかった。