短小亭日乗

短くて小さい日記

マラルメとボルヘス


マラルメの命題「世界は一冊の本となるべく存在している」は、100年前には気の利いたキャッチコピーだったかもしれないが、こんにちではどうだろうか。

そのマラルメのあとをうけて、ボルヘスは「砂の本」を夢想する。時間的にも空間的にも無限のものを一冊に収めた書物。

夏が過ぎ去る頃、その本は怪物だと気づいた。……それは悪夢の産物、真実を傷つけ、おとしめる淫らな物体だと感じられた。


しかし、われわれのこんにち親しんでいるネットならびにその端末は、一種の「砂の本」ではないだろうか。書物概念を拡大していけば、ネットの全体を「一冊の本」と見なす立場も「あり」だと思うのである。

そう考えてくると、マラルメのテーゼもいちがいに古いと斥けるわけにはいかないだろう。

ボルヘスはネットを知らずに死んだが、もしいまのパソコンやスマホを見たなら、これらをしも「悪夢の産物、真実を傷つけ、おとしめる淫らな物体」ときめつけただろうか?