自殺ソングについて
自殺ソングで有名なのは、ダミアの「暗い日曜日」だろう。確かに陰々滅々とした曲だが、私はこれを聴いてもべつに自殺したいという気持にはならなかった。
日本では、「アカシアの雨がやむとき」が似たような歌詞をもっているが、これを自殺ソングと呼ぶ人はいない。ただ、このバカみたいに明るい曲調が、なんだかやけくそのようで、逆にぶきみさを感じさせる。
さて、最近ユーチューブのアルゴリズムのなんとかで、Stelvio Cipriani の Mary's Theme という曲がおすすめにあがってきた。
べつに何ということもない曲だが、妙にクセになる。そしてこれを聴いていると、自分にとってもっとも大切なものがすでに永遠に失われていて、どうにも取り返しがつかない、そんな気持になってくる。
大切なものは過去にのみあって未来にはない、という気持をつよく刺激されれば、もう生きていても仕方ないな、という気になってくるのは理の当然だ。
この曲を聴いて自殺しました、なんていう人が出てこないことを願う。
エリー・アメリングと眞理ヨシコ
往年の名ソプラノにエリー・アメリングという人がいる。私はこの人の歌が大好きで、CDばかりか「歌の冒険」と題された写真集まで持っているくらいだが、どうしてそんなに惹かれるのか、自分でもよくわからなかった。
ところで、今日、子供のころに好きだった歌を検索していて、首尾よくそれを見つけだすことができたが、その歌を歌っているのが、眞理ヨシコさんという方で、かつて「おかあさんといっしょ」で歌のおねえさんを務めていたとのこと。
この眞理ヨシコさんの声を聴いたとたん、エリー・アメリングを思い出した。歌い方とか、声質とか、とてもよく似ているように思う。
おそらく、私が子供のころに、無意識のうちになじんでいた声を、あとになってから別の歌手に見出したんだろう。私くらいの年齢の人にはアメリングのファンが多いと思うが、もしかしたら子供のころに、「おかあさんといっしょ」を見ていたことが、その下地になっているのかもしれないな、と思った。
Teuchedy について
ロバート・バートンの『憂鬱の解剖』に、Teuchedy というのが出てくる。これが何なのか、長いこと謎だったが、いつだったか、あるフォーラムでその語源解説がしてあって、なるほどと膝を打った。ところが、今見てみると、ページごと消え去っている。
もしかしたらどこかに移転しているのかもしれないが、探し当てることができなかった。そこで、記憶をたよりに覚書を作ってみよう。
バートンの記述をざっと記せば──
日本には Teuchedy なる偶像があって、月に一回、国じゅうでもっとも麗しい乙女が、初穂を摘まれるために、Fotoqui すなわち堂宇の一室に座らされる。時いたると Teuchedy(悪魔の一種ならん)が現れて、乙女を犯す。毎月新たな乙女が捧げられるが、彼女たちがその後どうなったかは、だれも知らない。
さて、この Teuchedy だが、ある人によれば、天照大神であるという。その根拠はといえば、
天照大神をテンショウダイジン(Tenshodaijin)と読んで、
Ten → Teu
sho → che
dai(jin) → dy
というふうに読み(書き)違えが起ったのではないか、というのだ。私にはけっこう説得的なのだが、どうだろう*1。
17世紀の英国では、まだまだ東洋に関する知識は浅くて、Fotoqui(ホトケ?)が church を意味するとか、かなりいい加減な記述が目立つ。
*1:ことに Teu における n と u との交替のごとき
わが心の大和田
大阪市西淀川区大和田西2の39。これが私の精神上の原籍地だ。私はここに9歳まで住んでいた。
今日、仕事で近くを通ることになったので、しばらく車をとめて、子供のころ遊んだ思い出の場所を写真に撮ってきた。ひとさまにはまったく興味をもってもらえないと思うが、自分のために記事にしておこう。
まず最初に、その精神の原籍地の今の様子だ。ここにかつての私のアパートがあった。二階建てで、下にはうどん屋があった。私の家は、二階のいちばん奥にあった。
その家の前に、こういう記念碑が立っていた。私の子供のころにはもちろんこんなものはなかった*1。
家の前の道路(旧街道)を少し行ったところに、かつては太鼓橋という鉄橋がかかっていた。その橋は、いまでもどこかに移動させられて、保管されているという話を聞いたことがあるが、どうか。
このトラヤというのは、たぶん服屋だったと思う。父親がマフラーかなにかを買ったりしていた。いまでもそのままの名前でテントが出ているのにびっくりした。
そのトラヤの前の家並。ここに、かつて通わされていた勉強学校(死語か?)があった。青地という先生が教えていたが、私はここでの勉強がいやで、よくさぼっていた。青地先生も、おそらくはもうご存命ではあるまい。
千船駅の近くの階段。なんの変哲もない光景だが、私にはこれだけでもけっこうなノスタルジーの源泉だ。
その階段を登ったところにある建物。当時とほぼ変らないように思う。この建物の階段を降りたところに書道教室があって、一年ばかり通っていた。そのときの習字の先生は、私の母の先生でもあったらしい。
その建物の反対側の階段を降りたところ。かつてはここにせんぼし(千星?)という店があって、子供向けのおもちゃや駄菓子を売っていた。
現在の千船駅。当然のことながら、私の記憶にある千船駅とは似ても似つかない。
道を歩いていると、どういうわけかインドかスリランカの料理店がけっこうある。インド人らしい人にも何人か出会った。インド人のコミュニティーでもできているのだろうか?
その公園の横にある住吉神社。「和」という字が書かれた慰霊碑は、かつてはオベリスクのような尖塔だったが、いまは取り壊されてしまったらしい。横のお堂の裏に、その尖塔がへし折れて転がっていた。
その幼稚園の前にあるお寺。同級生のY君の家がこれだ。Y君はたぶん住職になっているんだろう。Y君の弟もかわいい少年だった。
最後に、当時好きだったあの子の家はまだあるのだろうか、と年甲斐もなく胸を躍らせながら探してみたが、それらしい家は見当らなかった。コンビニと駐車場が新たにできていて、かつての入り組んだ路地は跡形もなく消え失せていた。
* * *
子供のころ、学校で習った歌に、「大和田子供の歌」というのがある。歌詞は、
いつも仲よく、元気よく
楽しくいっしょに遊びましょう
大和田浦の宝船
流れる水に運ばれて
進め、世界の果てまでも
うろおぼえだが、こんな感じだった。
検索しても出てこないが、大和田で育ったアラカンの人々は知っていると思うので、もしちゃんとした歌詞をご存じの方がここを見られたら、ぜひご教示ください。
*1:後で思い出したが、20メートルほど東に行ったところに、古ぼけた黒い小さい碑が立っていて、「旧街道」と書いてあった
『尼僧ヨアンナ』について
私がこれまで見た映画の中で、ベストテンを選ぶとすれば、必ず入ってくるのがカヴァレロヴィッチの『尼僧ヨアンナ』だ。このたび、ちょっと気になることがあったので、原作の方も覗いておくことにした(岩波文庫、関口時正訳)。
気になることというのは、映画の中で、ヨアンナに取り憑いた悪魔が名乗りをあげる場面がある。それが原作ではどうなっているのか、というのが私の興味の的だった。
その部分を原作から引用しよう。
「『わたしの中には九匹の悪魔がいるのです。ベヘモット、バラアム、イサアカロン、グレズィル、アマン、アスモデウス、ベゲリット、レヴィアタン、そしてザパリチカ』と一息で唱えると、急に怯えた風で黙りこんだ」
原文ではこうだ。
- Ja mam w sobie dziewięć demonów: Behemot, Balaam, Isaakaron, Grezyl, Aman, Asmodeusz, Begerit, Lewiatan i Zapaliczka - wyrecytowała jednym tchem i zamilkła nagle, jak gdyby przestraszona.
この九匹のうち、八匹はなんらかのかたちで素性がはっきりしているのだが、ザパリチカ(Zapaliczka)だけが正体不明だ。検索してみても、ポーランド語の文献(?)ばかりがヒットして、いっこうに要領を得ない。
天使のヒエラルキーは九層あって、最下位のエンジェルをもって全体の呼称としている。それでいくと、悪魔のほうは、末端のザパリチカをもって全体を代表させることができるかもしれない。じっさい、この作品では、のちのちまで名前の出てくる悪魔はザパリチカだけなのである。
* * *
私の見るところ、この作品のいわんとするのは、聖愛と俗愛とはそんなにきっちり区別のつくものではない、ということだ。そのあいまいな境界が悪魔のつけいる隙となる。個室での、一対一の悪魔祓い。これが危険なことはだれにだってわかる。聖愛が俗愛に転化するには申し分のないシチュエーションだ。しかし、スーリンはよほど自信があるのか、それとも自信のなさゆえの強がりか、あえてその危険な領域に踏みこむ。
映画ではここで二人が肉体的に結びついたような含みをもたせている。しかし、原作ではそこまでの描写はなかった。たんに手を把っただけだが、堅物スーリンにとってはそれだけでじゅうぶん悪魔のつけ入るところとなる。
ヨアンナの悪魔を一身に引き受けたつもりのスーリンは、体内に悪魔をとどめておくために、さらなる悪へ身を落とす。二人の下僕を斧で斬殺するのだ。これも映画では衝撃的だったが、原作ではわりあい淡々と語られている。「まあ、こうするよりほか仕方なかったんですよ」とでもいうように。
ここからも窺われるように、映画は原作よりはるかに力強く、崇高で、詩的ですらある。映画と比べれば、イヴァシュキェヴィッチの小説のごときは色青ざめた梗概のようなものだ。