短小亭日乗

短くて小さい日記

音楽におけるヴァンピリズム


ギターを手にしてはや一年が過ぎた。この間、とくに練習らしい練習はしていないが、CDに合わせて即興的にギターを弾くのはよくやっている。たとえばバルトーク弦楽四重奏。この前衛的かつ変態的な曲集は、かつては洒落で聴いていたが、ギターで合わせるようになってから、やっと本格的に耳を傾けるようになった。



私は必ずしもバルトークのよい聴き手ではないけれども、この音楽史上に屹立する魔人(?)については、前から一種の思い込みがあって、それは、バルトークこそは音楽におけるヴァンピリズムの体現者ではないか、というもの。

ヴァンピリズム(vampirism)というのは、辞書をひくと、吸血鬼信仰だとか、吸血行為もしくは膏血をしぼりとること、などの説明があるが、私としてはもっとゆるく、世間によく見られるような、吸血鬼愛好というほどの意味で使っている。吸血鬼の愛好者というのは、世の中に一定数存在していて、本などでも吸血鬼という字が題名に入るだけで売れ行きがよくなったりすることもあるようだ。

バルトークはいろんな点で吸血鬼と親和性が高い。まず彼がハンガリーの生まれであること。吸血鬼の本場がハンガリーであることを思えば、両者になんらかの関係を認めたくなるのも当然だろう。

それから次に、彼が民謡を採集したことがあげられる。どういうつもりでそんなフォークロアまがいのことをやったのか知らないが、ここにも私はヴァンピリズムの匂いを嗅ぎつける。というのも、吸血鬼の魅力は、土俗的なものと貴族的なものの混淆にあると考えられるからだ。

彼の代表作のひとつに『青ひげ公の城』がある。この青ひげ公というのは、ペローの童話に出てくる残忍な貴族で、そのモデルは十五世紀フランスのジル・ド・レーだといわれている。ジルは生きている吸血鬼の代表格として、その手の本には必ず取り上げられるし、それと対をなすエルゼベート・バートリは、バルトークと同じくハンガリーの生まれだ。

あと、思いつくままあげてみると、まずバルトークの風貌。あれで唇を赤く塗って、牙を生えさせたら、そのままドラキュラ役として通用するのではないか。それから彼のベラ(もしくはベーラ)という名前がある。これはどうしたってドラキュラ役で一世を風靡したベラ・ルゴシを連想させずにはおかない。

昔の無声映画、たとえばムルナウの『吸血鬼ノスフェラトゥ』を見ながら、弦楽四重奏曲をバックに流してみれば、いかに彼の音楽が吸血鬼と相性がいいかよくわかると思う。

ルイ・マル『地下鉄のザジ』


大昔にテレビで見たものの再鑑賞。コメディはアメリカのものがダントツでおもしろいが、フランスもなかなかやりおるわい、といったところか。

そういえば、私がはじめてパサージュなるものを知ったのもこの映画の中でだった。そのときは、こんな夢のような商店街が実際にあるとは思いもしなかった。その後何年も経って、ベンヤミンの『パサージュ論』を読んだとき、はじめてそれがパサージュと呼ばれる建造物であることを知った。



ベンヤミンは次のように書いている。

パリの市街地図から一本の刺激的な映画を作り出すことができるのではあるまいか。パリのさまざまな姿をその時間的な順序にしたがって展開していくことによって、街路や目抜き通りやパサージュや広場のここ数世紀における動きを三〇分という時間に凝縮することによってそれができるのではあるまいか。それに、遊歩者が行っていることも、まさにこれ以外のなにものでもないのである。■遊歩者■
(『パサージュ論 I』、p.162)


そうだ、パリはベンヤミンの、いやボードレールの昔から、たしかに遊歩に適した街なのである。この映画に出てくるトルスカイヨンは、正体不明の怪人物だが、その実体は「パリの遊歩者」ではないかと思う。


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田島裕子「あざやかに生きて」


今週のお題「わたしの好きな歌」

たった一回聴いただけの曲が、なぜか執拗に記憶にとどまることがある。たとえば私の場合、田島裕子の「あざやかに生きて」がそれだ。

じつはこの歌手名も、曲名も、私にとっては長いこと謎だった。なにしろ大昔に一度、テレビでスタジオライブを見ただけで、その後はまったく耳にしないまま長年月がすぎたのだから。あやふやな記憶で「しなやかに生きて」という曲名だったような気がしていたが、検索をかけてもまったくヒットしなかった。私の見たと信ずるものは幻だったのでは? という疑いすら頭をもたげてきた。

ところが近年、検索エンジンの性能が飛躍的に向上した結果、インプットに少々誤りがあっても、正解の近くまで導いてくれるようになったのである。「しなやかに生きて」で検索すると、「あざやかに生きて」という曲が引っかかってくる。もしやと思って調べてみたら、これこそ私が長年求め続けていた曲だということがわかった。

この曲はCMとのタイアップで世に出たものらしいが、売れたのかどうか定かではない。ヒットチャートのどのあたりまで行ったのか、いまは確かめるすべがない。しかし、中古でシングル盤がけっこうな数出回っているので、まったく売れなかったわけではなさそうだ。あるいは、作ったものの売れ行きがぱっとせず、ゾッキに流れたものもあるのかもしれない。

まあそういうわけで、中古シングル盤を買ってみた。



1979年に出たというから、私が高三のころだ。それだけでも個人的にはとめどなく思い出がよみがえってくるが、そんなこととは関係なく、これは無条件にいい曲だと思う。

この曲のなにが当時の私にアピールしたか。いま考えてみれば、おそらくフランス印象派にも通じるオリエンタルな曲調、けだるい気分にふさわしく、やや間延びした小節数、それに最後のサビ(?)のところの転調だろう。この部分はじつにファンタスティックで、聴いていて思わず引き込まれる感じだ。

こんないい曲が埋もれたままなのは残念なので、音声ファイルを作って youtube にアップしておいた。



最後に、曲のデータと、ジャケット裏のライナーを紹介しておく。

岡田冨美子作詩、樋口康雄作曲・編曲


第10回(1975年)ポップコンつま恋本選会に、彼女自身の作品「目をそらさないで」で中島みゆき庄野真代因幡晃、本間由理とともに出場。第14回(1977年)には「気になる人」でツイストとともに再びステージをふむ。


持ちまえのライターとしての資質はこれまでのグループ活動時代からもうかがわれ、従来、明るいラブ・ソングが多かったのに加え、最近ではメランコリックな女の情感を感じさせる作風にまでひろがってきた。現在ヤマハ音楽工房の作家グループに所属、作品数約50曲。


大阪で子供達にピアノを教えたりポップコン大阪でパワーフル・トマトというコーラスグループのリーダーとして、スタジオ、ステージ等で活躍。

山崎俊夫『夜の髪』


奢灞都館から出た作品集の第五巻。四巻まではわりと楽に手に入ったが、最終巻がなかなか見つからなかった。諦めて図書館で借りようか、とも思ったが、けっきょく定価の倍ほどのお金を払って購入することにした。しかしまあこれは買っておいてよかったと思う。

山崎俊夫については、稲垣足穂が次のように書いている。

下って大正五年頃、山崎俊夫という、『三田文学』『帝国文学』『雄弁』『秀才』『文壇』などに創作を発表していた作家の、『童貞』を題した小説集が、小川四方堂から出ている。これは少年側のデリケートな心理を取上げたもので、童貞、夜の鳥、夕化粧、鬱金桜、きさらぎ、ねがひ、死顔の七篇が収録されている。岩田準一氏編のカタログでは、「悉く衆道情緒を以て書かれたる作品にて、稀有の小説集なるべし」との折紙がついている。


私はこれを読んで、もしや、と思い当る節があった。というのも、むかし受け取った新刊案内のハガキにそれらしい名前を見たような記憶があったからだ。

押入れの抽斗をひっかきまわすと、当時の(30年前の!)ハガキが出てきた。一枚紛失しているようだが、こういうのを保存していたとは自分でもちょっと意外な気がする。




岩田準一が折紙をつけたとあっては、中身は保証されたも同然だ。そこでとりあえず上巻(第一巻)を買って読んでみたが、これが強烈で、残りの巻もぜんぶ揃えて読もう、という気になった。ところが──

あとになればなるほどつまらなくなるんですね。まあ、つまらないといっては語弊があるが、中巻以降はふつうの作家、それもあまりぱっとしない作家という印象だ。

私は上巻(すなわち単行本の『童貞』を中心に編まれた作品集)のうちでも、冒頭の「夕化粧」がいちばん卓れていると思う。これは山崎の事実上の処女作で、それまでの習作とは打って変って、形式・内容ともにほとんど完璧といってもいいような、奇蹟的な作品に仕上っている。

 糸のやうな雨がしとしとと紺蛇の目の傘に降りかかる。──
「あたしこのごろは髪の毛が抜けてしやうがないのよ。」
「春の末になるときつとさうなのよあたしも。やになつちやうわねえ。」
 築地のとある橋の上へさしかかつたふたりの娘。
 白粉を臙脂皿の中に溶かしたやうな暮春の重たい空気が、萎え饐えた溝渠の水面にゆたゆたとしばし揺蕩ふうち、はや何時ともなく日は暮れて、ゆふがたから降りだした雨はただ靄のやうにやはらかく街の灯をつつんで、道行く人影の幽かな線をすら宵闇のなかに融かしてしまふ。暗い橋桁の辺は早くも夜の憂鬱にたちこめられて、たぶたぶとした水へ灯影を映しながらついついと溝岸を滑つてゆく「かんてら」の灯も動かなくなつてしまつた。鼠色の空が燻した銀のやうに底光りするのをみれば、今夜あたりはあの雲の辺に月の出てゐるころである。


ここに描かれた大正初年の築地の情景は、ほとんどヴェニスと見紛うばかりのまぐわしさだ。この出だしだけで私はシャッポを脱いだ。山崎俊夫に完全降伏をしてしまった。


     * * *


奢灞都館の作品集は、実質的には「全集」であって、断簡零墨にいたるまで収めてある。よくもここまで集めたな、と感嘆するほどのもの。こんなすばらしい本を作ってくれた出版社と、それを企画した生田耕作にはいくら感謝してもしたりない。

ただし、造本はあまりよくない。函にアラステアの絵をあしらったのはまあいいとして、黒い布の装丁は安っぽいし、用紙も上質とはいいがたく、字体も美しくない。まあ、こういう手作り感のある本のほうが、山崎俊夫にはふさわしいかもしれないが……

なお、紹介者の生田耕作は、山崎の作品について「わが鏡花と、荷風と、江戸歌舞伎と、そして西欧世紀末文学とを混ぜ合わせ、これを天草切支丹天主堂の地下倉に貯えて醸造した摩訶不思議の美酒……とでも謂えようか」と書いている。


     * * *


最後に、今回買った最終巻について少し書いておこう。この巻には、岩田準一のいわゆる「衆道情緒」の横溢した短歌が収録されていて、これを見るだけでも買った甲斐はある。

そのうち、いくつかあげてみると──

かぐはしき血の塊をかげよかし古りたる胸をのみ打てる人


腐りゆく葡萄の房のほの匂ふそれかの如く胸怪しかり


かたはらにきみはありけりかたはらにきみはあらざり夢の憎さよ


なつかしき丁香とおもへ慕はしき伽羅ともおもへきみかづく夢


思ひいづかのきぬぎぬのわかれよりきみが瞳は太陽を怖づ


蝋燭のまつしろき涙かりそめにつもれるほどの夜をへぬるべし


首ほそきわかき俊夫なゆめひとに知らせたまひそをのこならじと


艸摺のいとかすかなる音に似るわが魂の春のめざめよ


きみが眼はあまりうつくしくちびるはあまりかはゆしわれは死ぬらん


少年の思ひ出としてそのかみの幻としてきみを眺めん


男とは世を欺きしかりの名かあまりにもろき性をもちたり


たはれ男に追はるる毎につくづくとこの身生みたる母を恨みし


朝顔まひるを待たで萎むかなわれもそのごとはやく死なまし

マラルメとボルヘス


マラルメの命題「世界は一冊の本となるべく存在している」は、100年前には気の利いたキャッチコピーだったかもしれないが、こんにちではどうだろうか。

そのマラルメのあとをうけて、ボルヘスは「砂の本」を夢想する。時間的にも空間的にも無限のものを一冊に収めた書物。

夏が過ぎ去る頃、その本は怪物だと気づいた。……それは悪夢の産物、真実を傷つけ、おとしめる淫らな物体だと感じられた。


しかし、われわれのこんにち親しんでいるネットならびにその端末は、一種の「砂の本」ではないだろうか。書物概念を拡大していけば、ネットの全体を「一冊の本」と見なす立場も「あり」だと思うのである。

そう考えてくると、マラルメのテーゼもいちがいに古いと斥けるわけにはいかないだろう。

ボルヘスはネットを知らずに死んだが、もしいまのパソコンやスマホを見たなら、これらをしも「悪夢の産物、真実を傷つけ、おとしめる淫らな物体」ときめつけただろうか?