短小亭日乗

短くて小さい日記

レルベルグとフォーレ


ベルギー象徴派の代表的な詩人にシャルル・ヴァン・レルベルグがいる。この人は私のちょうど100歳年上で、生まれた月もいっしょなら、日も3日しか違わない。だからどうしたといわれるかもしれないが、こういうところにもなんとなく親近感をおぼえる。

レルベルグは日本ではあまり知られていないが、全世界的に見ても不朽の詩人である。なぜかといえば、彼はガブリエル・フォーレの晩年の傑作歌曲集『閉ざされた庭』と『イヴの歌』に歌詞を提供しているからで、フォーレの歌曲が聴きつづけられるかぎり、付帯的にレルベルグの詩も生きつづけることになるのだ。

フォーレの『閉ざされた庭』に収められている EXAUCEMENT(叶えられた願い) を和訳してみる。

きみがその疲れた額を
光り輝く両手にうずめるとき、
きみの祈りに応えて私の愛が
大願成就とあらわれますように。


まだふるえているきみの口に
言葉がとだえ、
その口もとがほころんで
金の光に咲く薔薇のようなほほえみを浮べるとき、


きらきらと輝くきみの目に映る
神々しいものの到来を
その暗い心のうちに
しっかりと受けとめるとき、


閉ざされた庭に眠る妖精よ、
きみの静かな、ものいわぬ魂が、
かなえられた甘い願いのうちに
喜びと安らぎを見出しますように。


この和訳からもなんとなく察せられると思うが、レルベルグの詩が伝えんとするのは、抒情でもなければ叙景でもなく、刹那ごとに移りゆく心象の幻影なのである。そしてそれは、晩年のフォーレが求めた、たえず転調を重ねながら、流れる水のようにさだめなく揺れ動く音楽に格好の題材を提供した。

聞き手によってはとりとめなく散漫な印象を与えかねない、このレルベルグフォーレの芸風は、後継者をもたなかったがゆえに、かれらの死とともに円環を閉じることになる。ふたりの創造した芸術境は、こうして文字どおり「閉ざされた庭」となったのである。

しかしこの庭は、閉ざされたことによって時の浸蝕を免れて、ふしぎなみずみずしさを今日まで保っている。それは象徴主義の名のもとに、詩や音楽がまだ芸術であった時代のモニュメントとして、いまなおある種の人々の関心をそそってやまないのである。


Faure;Melodies

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はじめに


これまで同一IDで三つのブログをやってきたが、そのうちのひとつを削除して、改めて新規IDで始めることにした。IDひとつに三つのブログはやっぱり無理がある。1ブログ1IDというのがすっきりしていてやりやすい。

今回のIDには 1961 という数字をつけてみた。これは私の生年だが、もしそれが 1960 や 1962 だったら、たぶんつけなかったと思う。というのも、私はこの 1961 という数字の並びにちょっとした愛着をもっているからで、これはさかさまにひっくり返しても 1961 になるのだ。20世紀、つまり1900年代においては、1961年以外にそういう数字の並びはない。21世紀は、2 を z のように見なせば、2002年がそれに当る(zooz)。

1961 という、ねじれた回文のような数字の並びは、私に永遠の円環運動を想起させてくれる。この数字に愛着をもつ理由、おわかりいただけたでしょうか?