そぞろごと

退嬰老人日記

年末の一日に

ふと思い立って芥川の「年末の一日」を読んでみようと本を取り出した。5ページあまりの小品。

年末に知り合いの記者と漱石の墓参りをしたという、ただそれだけの話だが、末尾に車曳きの男が箱車を曳くのを手伝ってやる場面がある。それは東京胞衣会社の箱車なのだが、この胞衣会社というのが私の興味を惹いた。いったいどういう会社なのか。

調べてみたら、どうも胞衣の処理をする清掃会社のようだ。なんだかがっかりだが、芥川は胞衣に関心があったのだろうか。未定稿の「人を殺したかしら」にも胞衣や胞衣塚の話が出てくる。

私は胞衣というものがどういうものか、見たことはないけれど、たとえばレオナルドの「聖アンナ」の地面にそれとなく描きこまれた「もつ」なども胞衣と考えれば、たんなる汚物というのではなく、もっと象徴的な意味合いをもった言葉のような気がする。


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エンニオ・モリコーネが音楽担当をしているというので、『レディ・イポリタの恋人──夢魔』という映画を見る。エクソシストの二番煎じらしいが、イタリア映画だけあってかなりあくどい。それはともかくとして音楽だが、これはモリコーネは名前を貸しただけではないかと思う。ホラー映画とパイプオルガンとは親和性が高く、当然のように効果をあげているけれども、モリコーネならそんなありがちのやり方をせずに、もっと意表をついた音楽を提供していたのではないか。


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夢魔』を見てから、うちにあったDVDを何枚か見直した。買ったDVDを一回見ただけでしまっておくのは、もったいないと思ったからだ。一回見るためだけなら、とくに手元に置いておく必要もないわけで。

フェリーニのローマ』。見どころはいくつかあるにしても、全体としてはつまらない映画だ。印象的なシーンをひとつ選ぶとすれば、渋滞した車の列に取り囲まれたコロッセオが映し出されるところ。あれはファンタスティックだった。

ブルジョワジーの秘かな愉しみ』。これもあまりおもしろくない。夢オチの連続というのは、観客をバカにしてはいまいか。

『小さな悪の華』。これは『思春の森』と同系統の作品で、アドレサンスの魅力に対する感性を失った人間には、まさに気の抜けたビールのような味気なさだ。観客を選ぶ映画。

あと、買っただけで見ていないDVDが一枚あった。こういうのはひどいと思う。動画サイトで見て感心したので、ちゃんと見てみようと思ってDVDを買ったのだが、それから10年近くも寝かせているのは自分でも呆れてしまう。


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英文学ですぐれているのがエッセイだというのは、昔からよく聞かされている。エッセイにこそアングロサクソンの真骨頂が示されている、というのだ。

たとえば十七世紀のトマス・ブラウン。みんなが褒めるので読んでみようと手に取ったが、おそろしくとっつきにくい文体で、何が書いてあるのかわからない。しかたがないので、邦訳を手に入れて読んでみたが、なるほど訳されてみれば意味はとれるが、今度はその内容が意外に平凡でつまらない。

同じことはディ・クィンシーについてもいえる。彼の本も原文はかなり難解で、書いてある意味がよく呑み込めず、ときに五里霧中に陥る。とはいっても、これくらいは読めなければ英文を読んだとはいえないので、大学の英文科などでは、このレベルのものが演習などで使われるのだろう。

私は英語にしても、英文科の学生レベルにも達していないという、情けないありさまなのだ。

まあそれはそれとして、『英国の郵便馬車』ではカンニングをして、邦訳を読んでみた。そして、ここでもやはりたいしたことが書かれていないのを確認した。

トマス・ブラウンとディ・クィンシー。英文学では大きな存在なのかもしれないが、内容的にはそう大したものではないのでは、と思う。取るべきものは文体だが、これも私のレベルではそのよさがわからないので、けっきょくのところ、英国のエッセイ的文学は敬して遠ざけておくのが無難だと感じた。


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リペアに出してあったギターが返ってくる。二ヶ月ぶりに手に取ったが、はじめはやはりお客様モードで、おっかなびっくりといった感じだった。箱入娘を扱うように、弾いたあとは弦を拭いていちいちケースに戻していたが、さいきんになってだんだん扱いがぞんざいになってきた。それでいいので、そうなって初めてギターが私にファミリアーなものになるのだ。といっても、傷をつけるのはもうこりごりなので、その点だけは注意しようと思う。

ギターが満足に弾けない間、ユーチューブでギターのレッスン動画をいくつか見てみたが、どれもこれもダメだ。お勉強臭がつよすぎる。楽器というのは、練習したからうまくなるわけではなく、またうまくなったからといって楽しくなるわけではない。変な話だが、弾けるひとは初めから弾けるんだよね、練習なんかしなくても。練習をしないというより、練習の質がまったく違うので、コツをつかんだらあっというまに上達してしまう。それはもう生得的としかいえないものだ。

できない人はいくらがんばってもダメ。そのことを骨身にしみて知っているにもかかわらず、練習次第でできるようになるような幻想を抱かせる講師のめんめんは、じつに善人の皮をかぶった悪党だ。

ユーチューブはそんな悪党どもの跋扈する魔界だから、純真なる学習者たちはくれぐれもご注意を。