そぞろごと

退嬰老人日記

宮崎湖処子『帰省』

筑摩の文学全集(初代)の「明治名作集」を手に入れて、最初から順に読んでいったが、どの作品もじつにおもしろい。個々の作品を覆っている、いまは失われた明治時代の雰囲気が、たまらなく魅力的なものに感じられる。ところが、宮崎湖処子の「帰省」にいたって、読書スピードががくんと落ちてしまった。

なんという、砂を噛むような、つまらない作品であろうか。

田舎から東京に出てきた青年が、六年ぶりに帰省する、その故郷でのあれこれが、もったいぶった文体でえんえんと綴られる。これがはたして文学であろうか? 私には学生の書いた作文以上のものには見えなかった。

巻末の「解説」を読むと、この作品は当時非常に評判になったらしく、国木田独歩も、田山花袋も、ここから多大な影響を受けたらしい。詩の方でも、初期の蒲原有明薄田泣菫などに影響を及ぼした、とある。

こういうものが受けたというところに、明治という時代の、いまの感覚では理解しがたい一面を見たような気がした。

毒舌で有名な黄眠は、湖処子について何といっているかと思って『明治大正詩史』をひっくり返してみたら、全般的に意外にも好意的で、『帰省』についても、「新青年の新感情で帰って見た田園を殉情的に詠嘆した清麗の散文詩風の逸作」と褒めて(?)いる。

明治文学は、いま読んでもおもしろいものがある一方で、当時の空気を同時代的に吐呑した人たちにしかわからない、小乗的なもの*1も少なくないんだろうな、と思った。

*1:それだけに好きな人にはたまらないのだろうが