そぞろごと

退嬰老人日記

懐メロとしてのバッハ

YTを見ていると、ヘルムート・ヴァルヒャの『フーガの技法』が全曲アップされているの発見した。いやはや、なんでもありますな、YTには。




一番から順を追って聴いてみたが、しだいに湧き上ってくるノスタルジーを抑えることができなかった。

これを最初に聴いたのは、中学のころだったか。とにかく半世紀ほど昔のことで、当時はアルヒーフのレコードは私の中では別格の扱いになっていた。レコード店でも、アルヒーフのコーナーはなんとなく格調高く感じられた。そのジャケットデザインや、輸入盤の体裁から、ヨーロッパの雰囲気をいちばんダイレクトに伝えてくれるのがアルヒーフのレコードだった。

その数あるレコードの中から、私が選んだのは、5千円という、中学生にはかなり高価な2枚組の『フーガの技法』だった。これを選んだのは、たぶん当時読んでいた芥川也寸志の『音楽の基礎』という本に影響されたんだと思う。その本には、「フーガは、古き多声音楽の到達した最高の様式であり……『フーガの技法』は、フーガの宝典であるとともに、職人的な作曲技法というものをこれほど見せつけられる作品はほかにはない」と書かれていた。

芥川也寸志は、「フーガの鑑賞では、ただ漠然と聞き流すほと馬鹿らしいことはない」といい、各声部を目でも追いかけられるように、楽譜を用意せよ、といっている。私はその忠告に従って、楽譜を買ってみたが、けっきょくのところ、バッハの作曲能力が人間離れしていることの確認に終ってしまい、楽理の深いところはわからずじまいだった。

しかし、芥川先生に楯突くわけではないが、この『フーガの技法』という作品、対位法の曲集であると思わずに、いっぷう変った和声音楽として聞き流したとしても、随所に印象的なフレーズがちりばめられた、文字通り珠玉のような作品なのだ。私が最初にこの作品を聴いて感じたのは、これは棺桶に片足突っ込んだ老人の書く音楽ではないぞ、ということだった。これほどみずみずしい感覚を死ぬ間際まで保っていたバッハの、老いを知らぬ若さにまず人々は驚くだろう。

この作品は、一曲を除いて楽器の指定がないことも、当時の私にはピンとこなかったが、この作品の価値を高めている要因のひとつだと思う。というのも──

ヨーロッパ音楽が他国の音楽と比べて異次元の高みにあるのは、それが「書かれた」音楽であるためだ。書かれたとは、要するに譜面に採るということだが、それはとりもなおさず音楽をフォルム、形相として捉えることを意味する。この、マテリア(質料)を抑えてフォルマ(形相)を重視すること、つまりヨーロッパ音楽の根底にある思想を、バッハは『フーガの技法』(ならびに『音楽の捧げもの』)において、さりげなくわれわれに示しているのだ。

私はその後、バッハの対位法からはだんだん離れて行って、やがてバッハ以前、つまり対位法がそれほど厳密に定式化されていなかった時代の、もっと自由でおおらかな音楽におもしろみを見出すようになるが、その興味も過ぎ去った現在、ふたたびバッハを聴き返すことは、とりもなおさず少年期のあれやこれやを回想することにつながる。つまるところ、懐メロとしての要素が非常につよくなってくるのだ。

それでいいのだろうか、という思いもあるが、「それでいいのだ」とどこからか、だれかの声がきこえてくるような気がする。

バッハに始まりバッハに終るとすれば、ここに私の音楽的円環が閉じられることになるが、たぶんそううまくは行かないだろう。


     * * *


今回のYTでは、ヴァルヒャが補完した「最終フーガ」も聴くことができる。さすがに長年バッハの音楽に親しみ、研鑽を積んできた人だけあって、みごとな出来栄えだが、作品に新たななにかを加えるまでには至っていない。つまるところ、これはヴァルヒャ一流の、壮麗を極めた蛇足であった。