そぞろごと

退嬰老人日記

マンガ、ロック、バラエティ

マンガというのは、私の子供のころには完全に悪者扱いだった。読むとバカになるというので、マンガ雑誌を買ってほしいというと、親は露骨にいやな顔をした。私が気兼ねなくマンガを読める環境はただふたつ、床屋での待ち時間と、病院での待ち時間。これだけが、私がマンガに接することのできる、至福の時間だった。

まあ、たしかに大昔のマンガは低級なものが多かった。だいたいマンガを描いている人たちが、高等教育を受けていない人ばかりで、手塚治虫が大学出なのが別格扱いになるくらいのものだった。親としては、こんな低俗なものに金を出すなんてもってのほかだ、という意識があったんだろう。

同じようなことは、ロックについてもいえた。私の子供のころはロックはまだ明確なかたちで存在しておらず、親もそれほどはっきりとしたロックの認識をもっていたわけでもない。親に「ロックってどんな音楽?」と訊いても、「ガチャガチャやかましい音楽のことやろ」と答えるだけだった。しかし、その答えそのものに、すでに貶下的なニュアンスははっきり感じられた。

テレビのバラエティも満足には見せてもらえなかった。父親のごときは、「莫迦者になりたければ莫迦番組を逃すな」と書いた紙きれをこしらえて、テレビの横に貼りつけていた。「バカ」を「莫迦」と書いたのは、父親なりの、教養への阿りだったのだろうか? いずれにせよ、当時のテレビは、教養とはほど遠い、バカ番組と呼ばれてもしかたのないような、低俗で幼稚なものばかりだった。

しかし、こうして親が周到に防御線を張っていたにもかかわらず、マンガやロックはバラエティはその持ち前の旺盛な伝染力で、私の精神生活の上に知らず識らず痕跡を残していった。影響とはそういうもので、いくら意図的にその直接の侵入を拒んでも、いやおうなしにこちらの精神に爪痕を残すものなのである。時代が人心を支配するとはそういうことだ。

あれから半世紀。こんにちではマンガも、ロックも、バラエティも、完全に市民権を得ていて、かつてのような迫害は受けていない。いや、それどころか、マンガは小説を抑えて有能な書き手を周囲に集め、ロックはクラシックを尻目に21世紀の音楽を牽引し、バラエティはテレビ番組の王座に君臨しているかにみえる。

しかしながら、サブカルチャーメインカルチャーになるには、少なくとも100年はかかるというのが私の意見だ。半世紀くらいでは、なかなかその域には達しないのである。

じっさい、いま生きている私の中でも、かつての親のしつけの名残のように、マンガやロックやバラエティを「低俗なもの」とみなす心性はたしかにある。これはどうにも否定のしようのない事実で、こういう偏見に汚染されていない、無垢な感性の持主が社会の主要な構成員になる時代がきて初めて、サブカルチャーは暗い出自を完全に脱することができるのだ。

私が生きてその日をみることはないが、まあそういうことなんだろうと思う。