そぞろごと

退嬰老人日記

筋トレなるものあらずや

これをなすは、なおやむにまされり。

というわけで、自粛生活における静かなブームに筋トレがあったらしい。なるほど、これならとくに道具もいらず、自宅で手軽にできる。そこで私もブームにのって、腕立てから始めてみることにした。

動画サイトを見ると、プランシェとかいう、体操選手まがいの技や、ストリート・ワークアウトという、近所の公園でやるようなメニューも紹介されている。腕立て腹筋の彼方に、こういう世界が展けているかと思うと、いやがうえにもモチベーションは高まってくる。いやはや、すばらしきかな、肉体の世界……

ところが、である。始めて一週間ほど経ったころ、違和感に気づいた。なんというか、筋肉が増強されたという感じがほとんどなくて、逆に体の節々が微妙に痛い。このまま続けていると、体を壊してしまうのではないか、という不安が頭をよぎる。

おそらく、老化した肉体というものは、若いころとは違って、無理がまったくきかないのである。無理をすれば、体が壊れてしまうのだ。そして、ある程度の無理をしなければ筋肉が増強しないのであれば、筋トレは若者限定ということになるだろう。

そりゃそうだよな、と思う。杖をついてよぼよぼ歩いているような老人に、腕立てや腹筋をしろというのはどだい無理な話なのだ。

同じことは、肉体面のみならず精神面にもいえるだろう。精神的な鍛練、たとえばイグナチオの「霊操」のようなのが無理なのは当然だが、たとえば日ごろの読書においても、めんどくさそうな本はつい敬遠してしまう。これなんかは、こらえ性がなくなったことの、顕著な徴だろう。けっきょくのところ、無理がきかなくなるというのは、そこで進歩が止まってしまうということだから、老人が日に日に阿呆になっていくのはやむをえざる仕儀なのである。

さて、それではどうすればいいか?

ほんとに、どうすればいいんでしょうねえ……