そぞろごと

退嬰老人日記

日々是凶日

コロナコロナで
明け暮れて
しづこころなし


どうもこういう問題になると、なかなかデリケートで、うかつな発言はできないが、私は昨日だいぶ「3密」を破ってしまった。いうところの法事。なにもこんなときにやらなくてもいいのに……

どうも日本人はまだ事態を対岸の火事のように眺めている人が多いと思う。かくいう私もその一人だ。どうしても身近に迫った危機という感じがしないのである。

敵の銃弾は幾万と飛んでくるが、当るのはただひとつ。だいじょうぶ、当りっこない、そんなふうに嘯いた兵士がいたという。かれを嗤うのは簡単だが、同じような考えをもってる人はけだし少なくあるまい。

いっぽうでは、煽るだけが取り柄のマスコミに踊らされて、買い占めに走る人もいる。自分だけ助かればいいという考えだと思うが、こういう事態では、自分だけが助かるということはないのだ。

そう、みんなが助からないと自分も助からない。というのも、事態が収束しないかぎり、いつまでたっても感染の不安はつきまとうのだから。

だから、いわゆる小乗ではなく、大乗的な見地に立ったエゴイズムが肝心なのに、人間というのは自分が助かるためには人を蹴落さなければならないと考えいるのか、必要なものを人と分ち合おうという気はさらさらなさそうだ。

今度の騒ぎで、カミュの『ペスト』が売れているという。どんな機会にせよ、名作が顧みられるのは喜ばしいことだ。私は大昔に弟に勧められて読んだが、疫病そのものの恐怖よりも、混乱に陥った人々の右往左往に力点が置かれているのが不満だった。まったくもって、観点が違うと名作も形無しになってしまう。

疫病そのものの恐怖を描いたものとしては、エドガー・ポーの「赤き死の仮面」が最高傑作ではないか。実録風のものではデフォーの『疫病流行記』があるが、ボッカチオの『デカメロン』もかなりのものだと思う。

デカメロン』では、ペストの症状として描かれたガヴォッチョロというのが強烈だった。gavocciolo を辞書で引くと、「ペスト腺腫」という訳語が出てくるが、この鼠径部にできるリンゴ大の腫瘍は、ペストの恐ろしさを可視化したものとして、私の記憶にわだかまりつづけている。

ペストといえば、「バソンピエール元帥綺譚」も忘れがたい。あの小説の末尾で、部屋の中で死体を焼くという、現実にはありえないような描写があって、これは夢の話に違いないと思ってしまったが、ホフマンスタールが粉本に使ったゲーテの物語でも、またおそらくはバソンピエールの「日記」にも、それは事実として書いてある。

この死体を焼くという消毒方法はいつごろ、どこで始まったのだろうか。今回の騒ぎでも、中国で死体が大量に焼かれたという真偽不明の情報が流れたが、それは私に秋霜烈日の感を抱かしめる。共産主義に特有の、祭典と化した刑罰を思わせるからだろうか。