そぞろごと

本、鉱物、音楽、etc.

『袖と袖』(伝・小栗風葉)

前回の続きで手に取ってみた一冊。小栗風葉という、今日ではだれも知らない(?)作家の手すさびになるとされる春本。

これもやはり筋らしい筋のない、エピソードをつなげただけの小説で、私の当初のテーゼ「春本は家庭小説の一種である」はどうやら形無しにされた格好だ。

家庭小説と春本との根本的な相違は、ヒロインの描き方にある。血の通った生身の人間として描かれているか、それともたんに欲望にふりまわされるだけの傀儡のような存在であるか。

家庭小説の最大の魅力は、ヒロインに肩入れして波乱万丈の筋書きを追うことにある。そのためには、ヒロインはどうしても血肉を備えた「人間」として描き出さなければならない。そうでなくては、読者としては感情移入がしづらいのである。

いっぽう、そういうしがらみを脱して、登場人物を人形か機械のように扱う行き方(つまり春本の方法)は、重点がエクリチュールのほうに移行する。この方面でのすぐれた例をあげれば、たとえばアラゴンの『イレーヌ』など。

詩人のランボーはいう、「俺は愛した、誤字だらけの春本を」と。そうだ、春本におけるエクリチュールは誤字も含めてのそれであり、変に手加減を加えるよりは、底本まるごと復刻するのが望ましい。

その点で、今回読んだ本(河出文庫)はちょっと食い足らない感じだ。おそらくかなり編集の手が入っているだろうからね。

まあ、いずれにしてもエクリチュールの方面から見るかぎり、この明治の春本は「声に出して読みたい日本語」で書かれている。