そぞろごと

退嬰老人日記

ガボール・ザボについて

去年の夏は、ガボール・ザボの2枚(正確にいえば4枚)のCDを聴いて過ごした。


Gypsy '66/Spellbinder

Gypsy '66/Spellbinder

Sorcerer / More Sorcery (Impulse 2-on-1)

Sorcerer / More Sorcery (Impulse 2-on-1)


で、一年経った今、何を聴いているかといえば、やっぱりザボを聴いている。この調子でいくと、来年の夏もザボを聴いている公算が高い。

さて、ガボール・ザボといっても知らない人が多いと思うので、とりあえず星野秋男氏の紹介を引用する。

ガボール・ザボはジプシーの哀愁を感じさせる非常にユニークなギタリストだ。ジャンゴの影響を感じさせるが、二本の弦で同じ音を出す奏法は、何でもないようでいて意外なほど独特の味を出す。この奏法はシタールからヒントを得たのであろうか? 風変わりなサウンドを好むチコ・ハミルトンのグループ・カラーに彼のギターはよくマッチしていた。彼がもっともオーソドックスなプレイをしたのはチャールス・ロイド '65年吹き込みのCBS盤(CS9212)だろうが、逆に最も個性に乏しかった。近年はコマーシャルなアルバムが多い。
~「ジャズ批評」39号、1981年より


シタールからヒントを得たのであろうか?」とあるように、彼の音楽からはそこかはとなくインド風味が漂うが、それはあくまでも味付けにとどまるので、後年のマクラフリンのようなあられもないのめり込み方はしていない。

そういえば、ギタリストの高柳昌行はその批評において、ガボール・ザボを九天の高きにもちあげ、マクラフリンを九仭の底へ落としている。これはいったいどういうことだろう。

高柳はマクラフリンの才能に嫉妬しているのだろうか? その傾きもあるけれども、おそらく彼の音楽の底にある「下品さ」を嫌悪していると見る方が正しいだろう。その華麗なテクニックと、高度の音楽的素養にもかかわらず、マクラフリンの音楽にはふしぎに品格が感じられない。

そこへいくと、ガボール・ザボのほうは下世話なことをやっていても、非常に清潔な魂の存在を感じさせる。この清潔さはギタリスト一般にあっては稀有のもので、一年間聴きつづけても飽きがこないのは、おそらく彼のこの資質に負うところが大きい。

人によっては、ザボなんて機材もしょぼいし、テクニックも中途半端で物足らない、というだろう。しかし、彼のフレーズがたとえ鼻歌に聞こえるにしても、それは全身全霊で歌われた鼻歌なのである。